長文WORD１（榎木津×美由紀）
決意 （さあ、みっともなく足掻いてみようじゃないか）
年の差がなんだというのか。
これほど大切にしたいと思ったことも、
これほど欲しいと思ったことことも、
これほど愛しいと思ったこともなかった。
ならば何を迷う必要がある。
逃避 （逃げてみよう。貴方に追われる事を祈りながら）
馬鹿なことをしている。
彼は探偵であって、刑事ではない。
来る者を拒まず、去る者を追わずの人。だから私は受け入れられた。
――お願い。
一歩を踏み出せずに怯む私を、どうか逃がさないで。
臆病 （開いた扉の前で、私は愚かにも立ち竦んでいる）
笑い声が聞こえた。
誰だろう。
――依頼人？
その声が女性というだけで、私の心臓は高鳴って止まらない。
憧憬 （世界は、君がいるから美しい）
意味のない日常が、意味のある日常に変わっていく。
そばにいて。
もっと笑って。
ねえ、僕に触れて。
彼女がいるだけで毎日が幸せになる。
有罪 （愛しい愛しい共犯者の君へ）
お前、それ犯罪だろう。
彼女の年齢を云うとそう云われた。
いちいち云われなくても、僕だってそう思う。
でも、それが罪だというのなら、どのような罰も甘んじて受けよう。
そんなのは、彼女がいればどうでもいいことだ。
焦燥 （もうすぐベルが鳴る）
後悔はしない？
するかもしれない。
でも、いま彼の手を取らなかったら私は一生後悔する。
切望 （―――どうか、今一度）
時を巻き戻すことが出来たなら、私はどこに戻りたいと思うのだろう。
戻って、どうするの。
小夜子を、夕子を、碧を救うのか――。
そこに、探偵と出会わない未来があるとしても。
郷愁 （ゆるやかでおだやか。そして何処か、もの悲しい日）
天気も良い。
気温も湿度も快適で、風も心地良い。
街のざわめきも穏やかで、昼寝には絶好の日和。
それなのに、面白くない。
彼女が来ない土曜日の午後。
幸福 （君がここにいる。それだけで、いい）
はしゃいで、叫んで、笑って、騒いで。
疲れたのか、探偵は私の膝を枕にしてあっさりと眠ってしまった。
幸せそうな寝顔。
昼寝が必要だなんて、どこぞの幼稚園児と変わらない。
きっと外見だけ大人になって、精神は子供のままなのだろう。
――本当に、子供みたい。
衝動 （ああ、私はいつか貴方を殺すだろう）
散歩の途中で、映画の撮影をしていたので立ち止まった。
「女優さんって初めて見ました。綺麗ですね」
ほうと見惚れていたら、隣にいた探偵が私の顔を覗き込んだ。
「女学生君のほうが綺麗だぞ」
その声は決して高くはなかったけど。
周囲の視線が集まって、私は恥ずかしさのあまり消えたくなった。
意味 （君が君でいるように、私が私であるように）
飾らない君が好き、とはよく云うけれど。
飾った僕も飾らない僕も彼女は拒まずに受け入れてくれた。
だから僕も彼女のすべてを受け入れよう。
弱さも強さも喜びも悲しみも、優しさも醜さも真心も偽りも。
飾っても飾らなくても。
すべてが愛しい。
傾斜 （緩やかに堕ちていく）
「探偵さんの隣に立ってもいいですか」
真っ直ぐに探偵の目を見つめて云うと、彼は笑っていいよと云った。
「でも、僕の方が重いから気をつけて」
興味 （貴方は一体どんな顔をするのでしょうか）
頭が真っ白になるときってどんなとき？
――子供に赤ちゃんをどうやって作るのか聞かれたとき。
――彼女から妊娠したと云われたとき。
ラジオから流れる街頭インタビュー。
妥協 （たまたま君が泣いたから）
したいと思ったことだけするし、したくないことはしない。
我慢するのも譲るのも、君に対してだけだと分かっているのかなあ。
思考 （私が考えるに、）
榎木津ビルヂングの三階から、奇天烈な叫び声が聞こえてきた。
二階にある会社の窓はどれも開いたままだ。
上の階にあんなに騒々しい家主を飼っていては、仕事にならないんじゃないだろうか。
「…………」
きっと、榎木津ビルヂングの賃貸契約書には、「騒音については文句を云わない」という項目があるに違いない。
警告 （親愛なる愚か者に告ぐ）
「榎木津さんに美由紀ちゃんを与えるなんて！」
益田さんが嘆くように叫んだ。
「中禅寺さんに妖怪、猫にまたたびを与えるようなものじゃないですか！」
無言 （彼は何も言わず、私もまた何も言わない）
授業中もあくびが止まらなかったのだけれど。
探偵が組んでいた足を崩して、自分の膝をぽんぽんと叩いた。
ここを枕にしていいよと、ぽんぽん、ぽん。
その言葉に甘えて、ゆっくりと身体を倒すと息を吐く。
優しく髪を梳かれて、一気に睡魔が襲ってきた。
――ここなら悪夢は見ない。
いつもとは逆の立場に、笑う気配が伝わってきた。
面会 （どうにも憐れに思えてしまうのだ）
寮の応接間に入ると、苦笑いの探偵助手がいた。
「やあ、美由紀ちゃん。突然、ごめんね」
電話をしてもつながらないから来ちゃった、と彼は云う。
「榎木津さんが一方的に悪いのはわかっているんだけどさ。相手は子供と思って、出来れば美由紀ちゃんの方から折れてくれないかな？」
懐疑 （疑わしきは君の全てである）
なぜ彼女は僕を恐れないのだろう。
なぜ彼は私を選んでくれたのだろう。
なぜ？
なぜ？
覚悟 （例え、君が）
ラジオドラマを聴いていると、私が、と彼女は云った。
「結婚することになりました――と云ったら、どうしますか」
それはドラマの展開と同じだった。
「誰と結婚するの？」
「……探偵さん以外の人と」
答えを待つ美由紀に、僕は笑った。
「ありえないことに答える必要はないよ」
逃走 （私は一人恐怖し、ただがむしゃらに走り続けた）
人が殺されるところを目撃するのは初めてじゃない。
殺された人を見るのも初めてじゃない。
殺されそうになったのも初めてじゃない。
――彼がいたら、怖くなどないのに。
ひたひたと、近づいてくる足音がする。
ぴたぴたと、血糊の滴る音がする。
背徳 （只のじゃれ合いで御座います故）
「不満そうだな、榎さん」
笑い含みの本屋を睨んで、当然だと返すとさらに笑われた。
せっかく温泉旅行に来たのに、混浴じゃない上に、部屋まで分かれてしまったのだ。
猿まで笑って、頭に来る。
温泉に顔の半分を沈めてぶくぶくと息を吐いていると、
「わ！」
隣の露天風呂から美由紀の声がした。
「服を着ているとわからないけど、美由紀ちゃんってけっこう胸があるのねえ。――こら、隠さない！」
「やぁ……っ。雪絵さぁん……っ」
「もう、綺麗な身体してるんだから堂々としていなさい！ 目も瞑らない！ あんまり反抗的だと胸揉むわよ！」
「えええええ……！」
「女学生君の胸を揉んで良いのは僕だけだぞ雪ちゃん！」
思わず立ち上がって叫ぶと、隣から美由紀の悲鳴が聞こえてきた。
嫌悪 （笑うな、話すな、呼吸を止めろ）
何でこんなに苛々するのだろう。
「女学生君！ 煙草を買ってくるから一緒に来なさい」
彼女を連れ出し、階段の途中で強引に口付けた。
美由紀が自分以外の男と話しているだけで頭に来る。
願望 （―――ああ、これは夢だ）
隣に彼女が寝ている朝。
彼女が帰ってくる夕方。
――目が覚めると彼女はいない。
会える日も、夕方になると帰っていく。
面白くない。まったくもって面白くない。
早く早く早く、夢が現実になる未来を。
了
【長文ＷＯＲＤ１】
2008.04.25
「京極部屋」に戻る
≪炎帝月帝≫TOP