京極100のお題（榎木津×美由紀）
０１．朝
日曜日の朝十時。
いつものように薔薇十字探偵社を訪れると、探偵はすでに着替えて、三角錐が置かれた大きな机の奥で新聞を読んでいた。
私は軽く驚きつつ、
「探偵さん……！ おはようございます」
元気に挨拶をした。
探偵は顔を上げずに「おはよう」と返す。
どこかに出かけるのだろうか。探偵がこんなに朝早くから起きているのは珍しい。
私は彼に近づくと、首をかしげた。
「まだ朝ですよ？」
探偵は新聞から顔を上げて、苦笑するように目を細めた。
「わかっているよ」
「何時に起きたんですか」
「九時」
「それは早起きですね」
「うん。早起きしたのだ」
云って、再び新聞に視線を落としてしまう。
いきなり健康にでも目覚めたのだろうか。いつもなら、たとえ昼でも夜でも自分が起きればそれが朝だと主張するほど昼夜逆転の生活をしているのに。
「何が早起きなものですかい」
台所から姿を見せた和寅さんが呆れたように云った。
「早起きっつうのは朝の四時とか五時のことを云うんですぜ」
氷が入った抹茶のグラスを探偵の前に置き、次に私の手に渡してくれる。和寅さんはお盆で口を隠すようにして私に囁いた。
「今頃気づいたんですよう」
「……は？」
和寅さんは探偵に軽く視線を向け、くつくつと喉を鳴らして笑った。
「早く起きれば、それだけ長く一緒にいられるって」
０２．２人組
中学生になってキリスト教系の学校に入り、信仰を知ってから得た神。
――だが、美由紀がキリスト教徒であったのは学校の中だけだ。年月にしたら二年にも満たない。その間、美由紀たちが信じていた神は哀れな子羊を救ってはくれなかった。
唯一の神しかいない世界の壁を壊して美由紀を救ってくれたのは、探偵と拝み屋だった。
破壊神と死神。
言葉にすると不吉な二人の神様が美由紀の世界を変えたのだ。
その神様たちは、古本屋の座敷でなにやら云い合いをしている。真剣な議論――ではなく、本当にくだらないことだ。
そんな二人を見ていると自然と笑みが漏れてしまう。
笑う気配を察したのか、探偵が振り返り、何？と問うような視線を向けた。
美由紀はふるふると首を横に振った。
「仲がいいなあ、って思って」
くすりと笑う。
二人の神は渋面で、
「「どこが」」
と声を合わせ、顔を見合わせると、
「「冗談じゃない」」
同じ事を云った。
０３．サディスティック
「榎木津さんてサディスティックですよね」
ぶつぶつと呟くような益田さんの言葉に、ピクリと反応した探偵は「お前はマゾヒスティックだろうが」と云った。
「かわいそうな性癖を持つ下僕に合わせてやっているのだ！ 神の慈悲をありがたく思えッ！」
「思えませんよ！」
――そんな会話を交わしている二人を見ながら、私は首をかしげた。
サディスティック？
マゾヒスティック？
その言葉を脳裏に記憶して、あとで辞書で調べようと思う。
「――ああもう、美由紀ちゃんからもなんか云ってやって！」
益田さんが半泣きで私の方へと向くので、私は目を細めた。
「お二人とも、仲がよくて羨ましいです」
なんだか、妬けてしまうほど。
――心からそう思ったのだけれど。
「いやいや」
「いやいや」
二人して真面目な顔で手首を振った。
その、見事に合った仕草を見て、やっぱり仲がいいなあ、と私は微笑んだ。
０４．眼鏡
「探偵さん、これなんてどうですか？」
貸し衣装屋で眼鏡を選んでいた榎木津に、一緒に来ていた呉美由紀が声をかけた。
榎木津はかけていた眼鏡をはずし、美由紀のほうへと歩いていく。探しているのは怪人風の片眼鏡だが、美由紀が手にしているのは普通の眼鏡だった。
榎木津が腰を屈めて「かけて」とアピールすると、美由紀はつめの部分を持って耳あてを榎木津のほうへと向けた。
「どうだね」
「かっこいいです」
……なんて会話を交わしているのかなあ、と益田は思う。
二人とも顔を近づけ、互いが聞こえるだけの声量で話しているので会話は聞こえてこない。くすくすと楽しげに笑う様子がひどく微笑ましい。
今度は榎木津が眼鏡を選んで美由紀にかける。照れたように頬を染めた彼女は文句なしに可愛いかった。眼鏡をした姿は勉学少女といったところだ。
「どうですか？」
「可愛いとも！」
……なんて会話を交わしているのかなあ、と益田は思った。
ちぇ。
うらやましくなんか、ないぞ！
０５．夏
夏も終わりに近づいた八月の末、実家から帰ってきたその足で、寮へ戻る前に探偵事務所へ向かったのだが。
久しぶりに聞いた第一声が――。
「暑いッ！」
私は思わず三階を見上げて吹き出した。
暑い暑いと探偵は繰り返す。
「暑いじゃないか！」
ドアが開いているのか、階段を上がっている途中から探偵の「暑い」が聞こえてくる。やがて和寅さんの声も聞こえてきた。
「そんなに暑くないと思いますがね」
「暑いものは暑い！」
「暑いって口にすると余計に暑くなりますぜ」
「暑いから暑いと云って何が悪いのだ！」
そのやり取りがなんだか可笑しくて――懐かしくて、笑ってしまう。
今日は風があるし、おそらく探偵事務所には氷屋から買った氷柱がちゃんと置かれていて、そこから流れる冷気で事務所内は思ったよりも暑くないはずだが――。
また扇風機が壊れたのだろうか。
「残暑お見舞い申し上げます」
事務所の入り口で私が声をかけると、「探偵」と書かれた三角錐の置かれた机の奥で探偵が立ち上がった。
「探偵さん、外にまで声が聞こえてきましたよ」
扇風機はちゃんと回って、氷柱も置いてある。風も通って事務所内はとても涼しかった。そう感じるのは、私がずっと歩いてきたからか。
風になびいた横髪が口に入るので耳にかける。
和寅さんが台所から顔を出した。
「美由紀さん、戻ってきたんですか」
「はい」
これお土産です、と持ってきた地元の名産を渡すと和寅さんの相好が崩れた。
「ゆっくりしていってください。いま、冷たいものでも出しますよう」
私は和寅さんの後姿を目で追い、次にまじまじと見つめてくる探偵に笑い、首をかしげた。
久しぶりに見る探偵は、暑いと口にしていたわりには襟元が崩れた様子もなく、まるで英国紳士のように一分の隙もない。
少し髪が伸びたかな。
「何か面白そうなものでも見えました？」
「うん」
「プールに行ったんです」
「そうか」
「海にも行きました」
「うん」
「――涼しくなりました？」
「なった」
探偵は目を細めて笑った。
ガリガリガリと、和寅さんがカキ氷を作る音が聞こえてきた。
了
【京極100のお題 01〜10】
01：2007.08.22
02：2008.01.16
03：2008.04.13
04：2007.09.21
05：2007.09.03
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