京極100のお題（榎木津×美由紀）
１１．腐れ縁
残った酒を淡々と飲み続ける刑事と。
酒をがぶ飲みした挙句、早々に呉美由紀の膝を枕にぐうぐうと寝てしまった探偵と。
男の髪を細い指で梳きながら、どことなく云いたいことを我慢している風情の女学生。
「なんだ、どうかしたのか」
便所に行きたいのだろうかと思いながら木場が声を掛ければ、呉美由紀は真っ直ぐで綺麗な瞳を男に向けた。
「悔しくて」
「あ？ 自分も酒が飲みてえのか」
「ちがいます。いつも、私ばかりあたふたしているから」
少女の言葉に、木場は瞬いた。
「探偵さんばかり余裕なんですもん」
木場は細い目を見開いて、酒を呷ると声を出して笑った。
「どこがだ。余裕のヨの字もねえだろ。昔からの付き合いだが、こんなに余裕がない馬鹿を見るのは初めてだぞ」
まるで分かっていない様子の少女に苦笑を漏らして、木場は幸せそうに眠る男を見つめた。
この馬鹿、お前さんに関してだけは常にいっぱいいっぱいなんだぜ。
１２．我慢
「暑い！」
探偵が叫んだ。
――ああ、また始まった。
毎年毎年、ある一定の温度を越えると内臓するセンサーが反応するのか探偵が騒ぎだす。
「暑いぞ、女学生君！」
「探偵さん」
私はにっこりと笑った。
「心頭滅却。火もまた涼し、ですよ」
「そんな可愛い声で云ってもだめだ！」
ダメダメダメダメ！ と叫ぶ。
探偵の「暑い」が始まると本当にうるさい。アツイアツイと鳴くアツイゼミ、と和寅さんが云うくらいだ。
「暑いと主張しても涼しくはなりませんから、我慢してください」
「我慢ならたくさんしているじゃないか」
「なら、もっと我慢してください」
ム、と明らかに機嫌を損ねた探偵は、口をヘの字にして立ち上がった。
「暑さを我慢すると別のを我慢できなくなるけど、それでもいいのなら我慢するとも！」
「はあ？ 別のってなんです」
「別のだよ別の」
探偵は応接のソファーへとやってくると、なんだろうと見上げる私の隣に立って、いきなり身を屈めた。
「――」
すぐに身を起こした探偵は、ほら、と云いたげに腰に手を当てた。
「我慢できなくなる」
「し……、信じられない！ もう……！」
口を押さえて真っ赤になる私に、探偵はにっこりと笑った。子供がまるで「褒めて」というかのように。
「いつもちゃんと我慢しているのだ」
１３．光
ピカッ！ と、空が光る。遅れて大地を割るような音が聞こえた。
「秋も終わりですね」
呉美由紀が窓に両手と額をつけて外を見ている。
いつもならすでに事務所を出ている時間だ。雷だ、と思ったときにはいきなりの土砂降り。慌てて帰ろうとする美由紀を引き止めたのは寅吉だった。雷が通り過ぎて雨が小降りになるまで事務所にいるように、と。
それでも門限が、と渋る美由紀に、雷などそう長く続くものではないし、この雷と雨の中を無理して帰って来いとは云わないだろう、と寮に電話を入れさせたのは榎木津だ。
寅吉は美由紀も夕飯を食べるとわかって張り切っている。
「美由紀さん、嫌いなものはありますかね。魚の卵とか大丈夫ですかい？」
「はい。大好きです」
手伝いを申し出た美由紀がテーブルを拭き、箸や箸休め、湯呑み、急須といったものが用意されていく。
榎木津はただソファーにもたれて美由紀の姿を目で追っている。
「雷が怖くないのか」
背もたれに頬杖をついて彼女に問えば、振り返った少女は元気に笑った。
「家の中にいれば」
「なんだ、つまらん」
榎木津は眉を寄せた。
――きゃあ、探偵さんッ！
なんて、雷に怯えてしがみついてくる美由紀を想像しなかった――といえば嘘になる。
だが、少女は怖がるどころかワクワクしながら雷を見ているのだ。それはそれで好感が持てるも、なんだか榎木津としては面白くない。
常人よりも耳がいいため、遠くで雷が鳴っていることにも気づいていたが、美由紀を引き止めることができそうだと黙っていたのに。
「つまらん！」
榎木津は不機嫌そうに吐き捨てた。
思い出すのはつい先日のこと。小さな地震があったのだが、美由紀は怖がることなく「あ、地震です」などと呑気に云っていた。
「残るは火事か親父しかないじゃないか！」
美由紀は榎木津が何を云いたいのかまったくわからないようで、あっさりと無視する事に決めたらしい。
「和寅さん、他に運ぶものはありますか？」
「味噌汁注いでください」
「はい」
「つまらん！」
榎木津が叫び、寅吉が煮魚の入った大皿を運んでくる。
「先生、何がつまらないんです。美由紀さんもいて楽しいじゃないですか。――ねえ」
寅吉の視線を受けて、美由紀は綺麗な眉を困ったように寄せた。返答しようがないのだろう。
榎木津はふんと鼻を鳴らすと、腕を組んで美由紀を見上げた。うっすらと細くなる――探るような瞳。
「君は何が怖いのだ。お化けか、幽霊か、妖怪か、変態か」
「なんですか？ その質問」
「いいから答える」
「……そうですね」
美由紀は軽く首をかしげた。
「お化けも幽霊も見えないので怖くないですけど、変態だったら探偵さんがやっつけてくれるでしょう？」
「当然だっ」
「妖怪なら拝み屋さんが何とかしてくれそうですし」
「じゃあ怖いものがないじゃないか！」
「ああ、それで火事か親父――なんですね？」
美由紀は破顔した。
「私だって地震や雷は怖いです」
「嘘だ」
「嘘なんてつきません」
「嘘を云うな。この前、地震の時に平気な顔をしていたじゃないか。今だって雷を見てわあとか嬉しそうだったぞ」
「ああ――」
美由紀は可笑しそうに笑った。くすくすと笑いが続く。
「だって、探偵さんがいるから」
湯呑みにお茶を注ぎ、顔を上げた少女は目を細めた。
「探偵さんがいるから怖くないんです」
１４．気になる。
「あれのどこがいいの」
探偵の知り合いは、私に会うとみんなそう聞く。
「榎木津のどこがいいの？」
「あの馬鹿のどこがいいんだ？」
――どこが。
そう聞かれても困ってしまう。
困って答えられずにいると、ふうん、と意味ありげに笑う。
「あれでいいの？」
私は微笑んだ。これには即答できる。
「はい」
あれがいいんです。
みんなも探偵に聞くのだろうか。
なんであんな小娘にかまうのか――と。
それは、私も聞いてみたいが怖くて聞けずにいる問い。
子供であったり、女性であったり、動物であったり、特に女学生というだけで可愛い可愛いと口にする人だから、私だけを特別に可愛がっているわけじゃないことはわかってる。
――でも。
でも、時々聞いてみたくなる。
「呉美由紀のどこがいいの」
そう聞かれたら、探偵はなんて答えるのだろう。
１５．怒
「ちゅうをしよう」
探偵の言葉に、私は冷たく嫌ですと返す。――それを数度繰り返すと、探偵はムッとしたように口をへの字にした。拗ねているのか、怒っているのか、判断しにくい。
「女学生君は僕が嫌いなのか」
「そういう問題じゃありません」
「だって嫌がるじゃないか」
「別に……嫌がっているわけじゃありません」
「じゃあ、ちゅうしよう！」
「嫌です！」
私の即答に、探偵は憮然とした面持ちで眉をあげた。
「なんで！」
「なんでもです！」
わざわざ聞いてくるから、嫌だ、としか答えられないんじゃないか。キスがしたいなら、いつもみたいに勝手にしてくればいい――なんて、私の口から云えるはずがない。
じゃあいいよ、と探偵は云った。
「君がしてくれないなら、誰か別の人にしてもらうから」
「――」
探偵はおそらく何も考えずに口にしたのだろう。
そう云えば私が焼きもちを妬くに違いないとか、焦るだろうとか、思ったに違いない。
それくらい、私にだって分かっている。
でも――。
誰か別の人にしてもらうからいい……？
――なにそれ。
探偵はすぐに私の変化に気づいたようだった。
「女学生君？」
胸が締め付けられるように痛んだ。身体は汗が出るほど熱いのに、喉が渇き、思考だけが急激に冷えていく。
「それって、私じゃなくてもいいってことですよね」
「え……？」
探偵はきょとんと瞬き、次の瞬間、自分が口にした言葉の意味に気づいたらしい。
「あ、違う――」
探偵はひどく焦ったように立ち上がった。
「違う、今のは。女学生君、ごめん――！ そういう意味じゃなくて」
「別に――」
私は探偵には目を向けず、鞄を掴んで立ち上がった。
「謝る必要なんてないです」
言葉に温度があるのなら、絶対零度の低さで私は云った。
「帰ります」
了
【京極100のお題】
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