京極100のお題（榎木津×美由紀）
２６．基本
「探偵さん、今年は接吻するんですか？」
正月が終わって早々、呉美由紀がいきなりそんなことを云うから、思わず珈琲を吹き出した。
わ、と驚いた美由紀が慌てている。
差し出されたタオルで珈琲を拭き、彼女の顔をまじまじと見た。
美由紀はきょとんと首をかしげて「どうしたんですか」と聞いてくる。
どうしたもなにも。
今のは空耳か？
「……したいの？」
「はい！」
「本当に？」
「え？ は、はい……。あの、しないんだったら別に」
いいんですけど、と彼女が云い終える前に叫んだ。
「しないわけがないだろう！」
美由紀は目を丸くして、次の瞬間、楽しそうに吹きだした。くすくすと笑う彼女は本当に可愛くて。
僕は身を屈めて彼女の小さな唇にそっと口付けた。
いきなり来ると思わなかったのか、美由紀の身体が硬直する。戸惑う彼女が身体を引くので、その背を支えてさらに深く口付けた。
「……んっ」
角度を変えて舌を絡ませる。混乱してされるがままだった彼女が、何をされているのか分かってきたのだろう。慌ててくる。
「た――」
探偵さん、と胸に手を置かれて、ぐいと押された。
顔を離すと、美由紀は真っ赤な顔で口を押さえた。
「な、なに――？」
よろめく彼女の腕を掴んだ。なんだか美由紀の様子が変だ。自分で云ったくせに。
泣きそうな顔で、頭に疑問符をたくさん浮かべている。
「いきなり――」
「したかったんだろう？」
「――え！？ なにを！？」
「接吻」
「！！！！！」
美由紀の驚きようといったら、化学の実験に失敗して益田の髪が一瞬でパンチパーマになる姿を見たらこんな感じに違いない――と思うほど。
「ちが……！」
「何が」
「ちがいます！」
美由紀は耳まで紅潮させて叫んだ。
「節分です！」
「――」
「せ つ ぶ ん！ 今年は節分に豆まきをするんですかって！」
「…………」
……ああやっぱり。空耳、だった。
「もう、信じられない……」
へなへなと、床に崩れた美由紀が恥ずかしそうに顔を覆った。信じられないのは僕もだ。
美由紀の前で膝を折ると、ぽんぽん、と彼女の頭を叩いた。ここは謝るべきだろうか。だが、謝るのもおかしい、と思う。
「今年は僕が鬼をやってあげるから、思う存分、豆を投げなさい。――ね」
「……」
こくん、と美由紀は涙目でうなずいた。
「たくさん、ぶつける」
片言でつぶやく少女は本当に可愛い。
もう一度口付けたら怒るかなあ。
手を差し出すと、お手のように彼女が手を乗せた。
――うん、よし。もう一度しよう。
どうせ豆をたくさんぶつけられるのであれば、一度も二度も同じだ。
接吻だって、たくさんしないと不公平というものだろう。
２７．時代錯誤
これ包んで、と探偵から手渡されたのは1冊の絵本だった。
「竹取物語……」
どうしたんですかこれ、と問えば、梢ちゃんの誕生日プレゼント用に買ったのだという。
「見てもいいですか？」
懐かしい、と昔を思い出しながら絵本を広げていると、探偵が私の隣に腰を下ろしてボソリと呟いた。
「今が平安時代だったらよかったのになあ」
私は小さく笑った。
「かぐや姫に求婚しに行くんですか？」
「君がかぐや姫ならね」
私はくすくすと笑う。
「じゃあ、無理難題を考えなくちゃ」
「すぐに僕を選びなさい」
「それじゃ物語にならないじゃないですか。平安時代かあ……」
今が平安時代なら、探偵は貴族で宮中に出仕しているに違いない。
直衣や束帯姿で、女御や女房に人気の公達「薔薇の君」として注目の的だったりするのだろう。
「女学生君は十二単を着て、結婚してもいい年齢だぞ」
「あぁ、そうですね」
あの当時なら十三歳前後で結婚していてもおかしくない。
というか、私の場合、商人の娘か漁民の娘だろう。古書肆は陰陽師！？ うっわ、そのまんまだ。
なんだかおかしくて笑っていると、探偵も楽しそうに笑った。
「で、僕が通うのだ」
「……」
ん？
私は瞬き、首をかしげた。
「どこにですか」
「君のところに決まっているじゃないか！」
「私のところ？」
「三日間通って、餅を食うのだ！」
「はあ」
それがなんなのだろう。
きょとんとしていると、探偵は何か云い難い表情をして脱力した。
「すみません」
私は慌ててしまう。
「源氏物語とか、読んでいなくて」
源氏物語の大まかな流れは知っているが、細かいところまでは読んでいない。
無知であることが恥ずかしくなるのはこういうときだ。ひたすら恐縮していると、頭に手を置かれてくしゃりと撫でられた。
「まあいい」
「すみません。美味しいお餅を出しますね」
「……餅を食いに行くんじゃないぞ」
「じゃあ、美味しいお茶を出します」
「……」
探偵は溜め息をつくが、何かツボにハマったのかくつくつと笑い出した。
「探偵さん……！」
なんだか馬鹿にされているようで悔しい。
「ちゃんと教えてください！」
「うん」
探偵は楽しそうに目を細めて、伸ばしてきた指で私の頬に触れた。
「三日目の夜に、僕と一緒に餅を食べようか」
「三日目の、夜？」
「そう。――答えは？」
「はい」
意味のわからないまま真面目にうなずき返すと、探偵は満足げに笑った。
私はふと浮かんだ疑問に首をかしげた。
「三日目の夜だけでいいんですか？」
「うん」
探偵は静かに囁いた。
「三日間は、もっと美味しいものを食べさせてもらうよ」
２８．優しいヒト
「美由紀ちゃん、大丈夫？」
「え？」
何が、と顔を上げれば、益田さんが首をかしげて私を見ていた。
「具合でも悪い？」
「いえ――」
慌てて首を横に振った。ぼうっとしていたので、心配したのだろう。
私は安心させるように笑ってみせた。
「大丈夫です」
益田さんはまだ心配そうな顔をしている。私がもう一度大丈夫だと繰り返すと、微笑して首をかしげた。
「本当に？」
「はい」
私が微笑んだとき、カチャ、と音がして寝室のドアが開いた。
ようやく起きてきた探偵は、真っ直ぐに私の方へと歩いてくると、隣に腰を下ろして大きなあくびをもらした。しばらくぼうっと益田さんを見ていたが、急に眉をひそめて私を見た。
探偵は、いきなり私の頭上に手を乗せた。二度三度、髪を撫でるように手を動かし、頬を包むようにして私の顔を覗き込んだ。
「どうした」
「え？」
心配そうに私を見つめる鳶色の瞳。
どうした、と探偵はもう一度云った。
真摯な眼差しは深く、長い睫の下には現在と過去とを見る眼が光る。
ドキ、と心臓が高鳴った。
なんでもない、と私が首を横に振ると、私の目をじっと見つめていた探偵は視線を外して立ち上がった。
「別に何もないのだったらいい」
――あ。
思わず顔を上げれば、探偵が振り返って「何？」と首を傾げた。
私が云ってくるのを待っているのがわかる。
でも、私はやはり首を横に振ってうつむいてしまった。
ドキドキと、心臓が高鳴る。
側にいて欲しい――なんて云えるばずもない。悩みも不安も口にするつもりがないのに、ただ側にいて欲しいと願うなんて都合がよすぎる。
「なんでもないです……」
やっぱり、今日は来るんじゃなかったと思った。
さっきも今も、益田さんや探偵に心配させている。
――もっと、自分の気持ちが落ち着いてからくればよかった。
後悔に落ち込みそうになっていると、ぼすんと音がして、探偵が再び私の隣に腰を下ろした。
驚いて探偵を見ると、口をへの字にした男は私の方へと向き直り、いきなり私の身体を抱き上げて自分の膝の上に乗せた。
「た――！？」
「暴れない！」
しっかりと腰に腕を回されて引き寄せられた。
「探偵さん……！」
「大人しくしていなさい」
ふざけている声じゃない。むしろ、怒っている――ような。
「でも――」
「ここにいてほしいなら、君が重石になればいいのだ！」
探偵の言葉に、思わず頬が紅潮した。
逃げようとすればますます強く抱き寄せられて、無駄な抵抗を嘲笑うかのように私の耳元で探偵が囁く。
「暴れるとひどいことをするぞ」
ピタ、と硬直した私に、探偵はまったくと云いたげな溜め息を漏らした。
「――マスカマ、珈琲！」
「はーい」
益田さんが、ニコニコと楽しそうに笑って立ち上がった。
２９．監禁
「眠たそうですね」
あくびが止まらないのか、ソファーで横になった彼は再度大きなあくびをした。
「にゃあにゃあ煩くて眠れないのだ」
「にゃあにゃあ？」
首をかしげて、ああ、と笑う。ちょうど猫の発情期なのだろう。もうそんな季節か、と思った。
「二ヶ月後には、かわいい仔猫が見れると思えば我慢できますよ」
「前向きだな」
「前向きです」
それで、と探偵は眠そうな目で私を見た。
「女学生君の発情期はいつくるの」
さらりと云われて、私は笑ってしまう。
「来たらどうするんです？」
「教えて」
「分かりました」
そんなのは、一生来ないけど。
「絶対だよ」
「はいはい」
「約束する？」
「約束します」
「僕だけだぞ」
「分かりましたから」
もう、早く寝てください、と私は苦笑した。
３０．煙草
「お邪魔します」
日曜日の午前に明朗な声が響く。
千鶴子に料理を習うという約束をしていた少女が座敷に挨拶をしに来た。
すらりと伸びた肢体。呉美由紀は、襖を開けると三つ指を突いて頭を下げた。明るい色の普段着に、いつもは降ろしている髪を一つにまとめている。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
「朝からすみません」
「気にすることはないよ。ゆっくりしていきたまえ。――で、今日は何を作るんだい」
「出来てからのお楽しみです」
顔を上げてニコッと笑った少女は、まだか、まだか、と待っていた栗色の髪の麗人にようやく気づいたらしい。目を丸くして、
「探偵さん！」
と叫んだ。
「遅い！」
と男も叫ぶ。
美由紀は驚いた様子で瞬いている。
「どうしたんですか！？ こんなに朝早くから！ まだ十時ですよ？」
僕は彼女の言葉にニヤリと笑って榎木津を見た。
「まだ十時ですよ、榎さん」
「うるさい」
ギロリ、と睨まれた。
榎木津礼二郎という男が日曜の朝からわざわざここへ来る理由などたった一つしかない。だが、呉美由紀は本当に気づいていないらしい。
この鈍さは確かに榎木津へ同情すべきだろう。
榎木津はふんと鼻を鳴らした。
「女学生君がご飯を作るというので食べに来たのだ」
彼女に察してもらうのを諦めて、自己申告することにしたらしい。
「――ということらしいよ」
「わかりました」
美由紀はにっこり笑って榎木津を見た。
「えっと、二時間くらいかかりますけど…」
気遣う様子の彼女に、榎木津は「待つ！」と叫び、僕は笑った。
「いくら榎さんでも、子供のように腹が減ったと箸を叩いて急かしたりはしないから安心したまえ。どうせ寝ているに違いないのだからね。気にする必要はないよ」
云って、吸っていた煙草を消そうとすると、彼女は慌てて手首を左右に振った。
「あ、そのままで。すぐ台所に行きますから」
あたふたと立ち上がり、出て行く彼女を呼び止めた。
「後でかまわないが煙草ひとつを頼んでもいいかね」
「はい。それ――ですよね」
少女の視線が座卓の上にある煙草の箱に定まって、ふ――と相好が崩れた。
「その煙草、お祖父ちゃんのと一緒です」
柔らかい笑みは、彼女が祖父に抱く感情をそのまま表していて微笑ましくなる。
「君はお祖父ちゃんっ子のようだな」
「そうですか？」
美由紀は首をかしげた。
「一緒に暮らしたことはないんですけど」
「でも好きだろう」
「はい！ 大好きです」
にっこりと笑う少女の顔は心から嬉しそうで、その笑顔を見た榎木津の機嫌が悪くなるのはすぐにわかった。
――本当に。
面白い。
くくく、と思わず笑いが漏れた。
きょとんと問いたげな少女に「行きなさい」と手首を振って、ふてくされた男を呆れて見やった。
「榎さん」
「うるさい」
「あんた、彼女の身内にまで焼きもちを焼いているんですか」
「うるさいぞ」
「彼女にあんな笑顔を向けられたことは？」
「……」
「ないのか」
声に出して笑うと、本を奪われて縁側に投げられた。
了
【京極100のお題】
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