京極100のお題（榎木津×美由紀）
３６．お任せ下さい
探偵は手先が器用だ。
プラモデルや工作、絵もギターも何でもこなす。それなのに、蝶々結びとかネクタイを結ぶのが下手だった。
「探偵さん」
ネクタイと格闘している探偵を見かねて彼の咽喉もとに手を伸ばした。探偵は素直に手を離して私に任せてくれる。
実のところ、彼がいつも結ぶところを見ているだけでネクタイを結ぶのは初めてだったのだけど、見よう見真似で結び終わり、ふと視線を上げると探偵と目が合った。
「――」
私は息を飲んで、視線をそらしてしまった。顔が熱い。
探偵の笑う気配。
「できた？」
「……はい」
ネクタイから手を離し、私は一歩下がってその出来具合をチェックする。
「はい、できました」
私は首を傾げた。
「どうですか？」
探偵の顔を覗き込むと、返ってきたのは満面の笑み。
「今度から、女学生君がいるときは君に結んでもらうことにしよう」
探偵はくるっと身を翻し、うわははは！ と、突然笑った。
「見ろ、女学生君に結んでもらったのだ！」
和寅さんに自慢している探偵の背中に、私はくすりと笑った。
３７．片割れ
小さなガラスの瓶を陽光に透かし、揺らすとシャラシャラと音がする。
「美由紀ちゃん、どうしたのそれ」
私とは逆の位置から益田さんがそれを覗き込んだ。
「探偵さんと拾ったんです」
瓶の中には、キラキラと輝く小さな貝が入っていた。まるで桜の花びらのような薄い貝が二枚。
「桜貝だ」
「はい」
「きれいだね」
遊びに行った砂浜で、私と探偵がそれぞれ一枚ずつ拾った貝殻。
もともと一対のものではなく、二人とも別々に拾ったのに不思議と合わせが同じだなんて、そんな偶然があるのだろうか。
左右対称の柄は、確かにそれがもともと一対の貝であったことを示している。
「探偵さんが、お守りだって」
「ああ、うん。昔からそう云うね。でも、それって二枚貝でしょ。男女が一つずつ持つと良いって聞いたような気がするけど」
「――」
そうなんですか？ と益田さんを見ると、彼はうなずき、記憶を探るように視線を遠くに向けた。
「確か、離れていても引き寄せあう力があるとかなんとか」
「詳しいですね」
素直に感心していると、益田さんは八重歯を見せて笑った。
「おばあちゃんがそんなことを云っていたんだよ。おまじないとか迷信の類だよね。二枚貝には絆って意味があるんだって」
だから一つは榎木津さんに渡したら、と益田さんが云った。
「穴を開けて、紐をつけてあげようか？」
私は小さく笑って首を横に振った。
「このままで」
私は小瓶を胸に抱いて微笑んだ。
「このままでいいんです」
だって、やっと廻り合ったのだから。
３８．薔薇
「誕生日おめでとう」
そう云って、彼は薔薇の花束をくれた。
真っ赤な薔薇は、自分よりもむしろくれた人にこそ似合っていて。
花束の中から一本だけ抜き取って彼の胸に挿したら、驚いた表情と、嬉しそうな笑顔が返ってきた。
プロポーズの言葉とともに渡された花束から一本を返す――。それが外国ではプロポーズの返事になるのだと、知るのはずっと後のこと。
３９．死
「死ぬのが怖いかい？」
「怖いです」
私は答えた。
――死ぬのは怖い。
織作是亮から暴力を振るわれたときも、小夜子を殺した犯人に殺されそうになったときも、怖くて怖くて仕方がなかった。
物心がつく前から起こっていた戦争でも怖いと思った記憶はないのに、ある日突然目の前で起こった事件で、死は身近なものとなってしまった。
「死ぬのは怖い？」
「怖いです」
小夜子の死に対し、可哀想だが悔やんでも屍体は生き返らない。もっと前向きに行きなさい――と云った人。
――ああ、この人は。
何度も死を目撃して、何度も悔やんだのだ。
「では、女学生君」
人間は誰もが死ぬのだし、戦争にしろ病気にしろ事故にしろ、突然いなくなってしまうことを知っている人。
おそらく、自分が死ぬことすら恐れてはいない彼は、静かに囁いた。
「君は僕より先に死んではいけないよ」
４０．大掃除
十二月の半ばを過ぎた日曜日、空は晴れわたり、空気も澄んでいる。絶好の洗濯日和だ。
前日に「明日は朝から来て下さい」と和寅さんに云われていたので、大掃除を手伝うつもりでエプロンに三角巾も用意して事務所に向かうと、出迎えてくれた益田さんが「はい」と云って渡してくれたのは、箒ではなく「探偵」だった。
すでに大掃除は始まっているのか、窓ガラスとカーテンがすべて外されている。
「夕方まで帰って来ないでね」
「え？」
「先生がいると邪魔なんですよう」
和寅さんがお弁当を包んだ風呂敷と水筒を渡してくれる。
「美由紀さんにしか出来ない仕事ですから、よろしくお願いいたします」
「はあ……」
ちらりと、隣に立つ探偵を見上げると憮然としている。
「探偵さんも掃除がしたいんじゃないですか？」
「違います違います」
和寅さんはハタキを手にして楽しげに笑った。
「朝から無理やり起こされたんで不機嫌なだけですよう。そのうち、目が覚めますから」
「美由紀ちゃん、よろしくね」
いってらっしゃい、と二人揃って手を振り、元気に送り出されてしまった。
「……困ったな」
どうしよう？
探偵を見上げると、半分くらい目が閉じている。もしかすると、私がいることさえ気づいていないのかもしれない。
「とりあえず、公園にでも行きましょうか」
そこで彼の目が覚めるまで寝かせて、ご飯を食べたらそのままゴロゴロしよう、と思う。
私は鞄の中に弁当の包みを入れると、探偵の大きな手を取った。
「行きますよ、探偵さん」
青空を見て、雲を見て、木漏れ日を見て、鳥を見て、猫を見て、嫌な記憶を流してしまおう。
今日は彼の目も大掃除。
了
【京極100のお題 031〜040】
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