京極100のお題（榎木津×美由紀）
６１．喧嘩
探偵さん、と美由紀が云う。
「私のこと、好きですか？」
大好きだとも！ ――と、常ならば叫んでいただろう。
だが、彼女の言葉は何の前振りもなく、いきなり飛び出してきたので咄嗟に返すことが出来ず。
美由紀と目が合うと、口にしたのは別の言葉だった。
「どうした？」
応接のソファーに座った少女は、困ったように小首をかしげて小さく笑った。
「云ってみたくなっただけ」
美由紀はス――と立ち上がると、両手を揃えて丁寧に頭を下げた。
「帰ります」
静かに言葉を紡ぐ。
美由紀は鞄を持つと、僕の方へは一度も振り返らずに出口に向かった。
真っ直ぐな、綺麗な歩き方。翻るスカートの裾が目に焼きついた。
カランと鐘が鳴って、ドアが閉まる前に美由紀は階段を下りていく。遠ざかる小さな靴音。
「先生」
台所から現れた和寅が、僕を睨んだ。
「知りませんぜ」
「何がだ」
「喧嘩の原因が何かは分かりませんがね、先週から美由紀さんを無視したままじゃないですか」
「僕は悪くないぞ」
「ええそうでしょう、先生は全然悪くないですとも」
和寅は怒ったように吐き捨てる。
「だから何も答えなかったんですかい？ どうせ、先生が美由紀さんのほうから謝るまで許さないとかなんとか云ったんでしょう」
――その通りだった。そして、彼女は頑固にも一言も謝ったりはしないのだ。
和寅は大きく鼻息をついた。
「先週も今日も来てくださったのに、先生はずっと無視していたんですぜ。美由紀さんがどんな顔をしていたのかもどんな気持ちでいたのかも分からないで」
「うるさいな」
いつもならその一言で黙る和寅が、引き下がらない。
「来週は来ませんよ」
冷たい声。
僕が顔を上げると、和寅は冷えた目で睨んでくる。
「来週も再来週も、これからずっとです。美由紀さんは嫌われているのがわかっていても平気で会いに来られるような娘さんじゃありませんからね」
なんのことだ、と怪訝に思っていると、和寅はひどく苛立ち、まだ分からないのかと片足でたたらを踏んだ。
「答えなかったじゃないですか！ 美由紀さんの質問に」
「なんの」
「なんの！？ たった今、云ったでしょう！」
――私のこと、好きですか？
胸に霜が降りたような気がした。身体の体温が一気に五度は下がったんじゃないだろうか。
喉が渇き、頭が混乱する。
待て。
僕はあのとき、何を口にした？
なんと答えた？
喧嘩をして、無視されて、何も話さず、それでも彼女は僕に会いに来た。
美由紀はどんな顔をしていたのだろう。何を考えていたのだろう。無視される自分をどう思ったのだろう。
僕に嫌われたと……？
私のこと、好きですか――。
あれは最後の確認だったのだ。
「……云ってない」
僕は立ち上がった。ドアに向かおうとして、倒れた椅子の脚につまづいた。
クソ――。
云ってない。
好きだと云わなかった。
質問に答えなかった。
――探偵さん、私のこと、好きですか？
好きだといつも口にしていても、何度繰り返しても、肝心なときに返せなければ、伝えなければまったく意味がなかった。
「先生、コート」
先ほどとは違って、少し呆れたような――でもホッとした顔で和寅がコートを差し出す。
僕はそれをつかんで、全速力で美由紀を追った。
６２．大喜び
事務所で猫探しのチラシを手作業していると、手伝ってくれていた美由紀ちゃんを榎木津さんが呼んだ。
「女学生君」
「なんですか」
顔をあげた彼女に、「探偵」と書かれた三角錐の置かれた机に座る薔薇十字探偵社の主は唇を尖らせた。
「つまらない」
暇でしょうがないらしい。
美由紀ちゃんは首をかしげた。
「読む本はないんですか？」
「ない」
「お昼ご飯は」
「食べた」
「新聞」
「面白くない」
「ラジオ」
「うるさい」
んー、と考えるように視線を走らせた彼女は、「お灸」と云った。
ぷ、と僕は吹きだす。きっと彼女のお祖父さんがやっているのだろう。
榎木津さんはしばらく沈黙した後、「熱い」と云った。やったことがあるのか！ それでますます笑うと、殺すぞマスカマ、という目で睨まれた。僕は肩をすくめてチラシ作りを再開する。
「つまらない。つまらないぞ！」
榎木津さんが叫ぶ。
遊んでと駄々を捏ねる幼児と同じ。自分ひとりが放置されているのがつまらないのだ。
じゃあ手伝ってくれたらいいのに、と僕は思う。別に放置しているわけじゃない。すでに美由紀ちゃんが「一緒にします？」と誘っているのだ。それでも「しない」としか返って来ないのだからどうしようもない。
きっと、自分の膝にでも美由紀ちゃんが座っていたら、それだけでたちまち機嫌がよくなるに違いない。
「女学生君」
「はい」
「気持ちいいことしよう」
ぶ、と僕は吹いた。
「榎木津さん！？」
なに云ってるんですか、あんた。
つか、そういうことを他人がいる前で云わないでほしい。
「美由紀ちゃん、榎木津さんのことは放っておいていいから」
「はあ……」
困ったように苦笑する彼女は、猫の髭を描いていた手を止めてすくっと立ち上がった。しょうがないなあ、というように。
「気持ち良いことしたら黙ってくれるんですか？」
「うん」
「むにむに？」
「むにむに」
にこにこと笑う。
うっわ、最低ー。僕が軽蔑の視線を向けるも、榎木津さんの目は美由紀ちゃんにしか向いていない。
彼女が榎木津さんのところに向かうと、両手を広げて歓迎ムード。自分の足の間に入った彼女の腰をそっと抱き寄せる。ああ、見ちゃダメだ……と思いながらも、そっと伺ってしまう。
美由紀ちゃんは榎木津さんの頬を両手でそっと挟む。
と、前後に揺らした。
むにむにむにむに。
ぶッ、と僕は吹く。なにそれ。
榎木津さんは頬をぷるぷると揺らされながら目を閉じて「うふふ」と笑っている。
――気持ち、良いんだ！？
むにむにされ続けている榎木津さんは本当に楽しそうで。
「はい、終わりです」
両手が止まると、閉じていた目が開いて続きを強請った。
「もうちょっと」
「……」
「もうちょっとだけ」
「……ちょっとだけですよ」
むにむに、と軽く揺らして、美由紀ちゃんは「はい終わり」と両手を離した。榎木津さんはまだ不満そうだが、また今度やってあげます、という言葉で妥協したのか、彼女を解放すると按摩が終わったときのようなリラックスした顔でへなへなと机に上半身を伏せた。
ソファーのところに戻ってきた彼女は僕を見て苦笑する。
「一度してあげたら気に入ったみたいで」
「……気持ち良いの？」
「私の手は肉付きが良くないから、そんなに気持ちよくはないと思うんですけど。でも、指がぷにってしている人にしてもらうとすごく気持ちが良いんです」
「へえ……」
自分で自分の頬を掴んで目を閉じる。プルプルと揺らしてみるが、それほど気持ちが良いとは思えない。
「やってあげましょうか？」
美由紀ちゃんが笑うので、ぜひ、とお願いしようとしたら、それよりも早くダメ出しがきた。
ああ、やっぱりね。そう来ると思っていましたよ。
「女学生君のは僕の」
むくっと起きたオジさんが殺すぞという目で僕を見ていた。
６３．エロティック
涙が溢れて止まらないから、身を折って彼女のそれを舐める。
「泣かないで」
「……ッ」
熱い息。
長い喘ぎの中で喉が渇いたと云うので、互いの唾液で喉を潤した。
「気持ちいい？」
笑って聞くと、彼女はすがるように右手を僕の胸に当てた。
「探偵、さん……は」
「うん、すごく……」
気持ちがいいよと囁いて彼女に口付けた。
それが僕だけじゃなかったら良いなと、訊いてみただけ。
６４．横恋慕
探偵が石榴と遊んでいる。
遊んでいるのか、遊ばれているのか――。
そんな彼を見るのは楽しいのだけれど。
うふふと笑った探偵が石榴の毛を愛しげに撫でた。
「僕のうちにくるかい？」
――ああ。そんな言葉を羨ましく思ってしまうなんて。
くくく、と笑う声に顔を上げたら、古書肆が私を見て笑っていた。
石榴を羨ましいと思ったことすら、拝み屋にはお見通しなのだろう。ボッと火が吹きそうなほど紅潮した私に、古書肆は我慢できなくなったらしく、肩を震わせ、ついには声を出して笑い出した。
私は、といえば恥ずかしさの余り言葉も出ない。
ふと気づいたら、探偵が私を見ていて、余計に顔が赤くなってしまった。
「どうしたのだ」
石榴が羨ましいと思った――なんて云えるはずもない。
私はただ首を横に振る。
それでまた古書肆が吹いた。本で顔を隠して笑っているが肩が震えている。
「中禅寺さん……！」
「ふふ、ふ」
「笑わないでください……！」
「笑ってなどいないよククク」
「もう……！ 笑ってるじゃないですかっ」
いつも気難しい顔をしているくせに、古書肆は本当によく笑う。
古書肆との声を潜めたやり取りに、探偵は仲間はずれにされた気分になったのか不機嫌そうに口をへの字にするので私は慌てて手首を振った。
「本当に、なんでもないんです。中禅寺さんも笑わないでください……！」
探偵はますますムッとした表情。
「帰るぞ、女学生君」
縁側から座敷に入ってくる。探偵が私に手を差し伸ばしてきて――古書肆が再度吹き出した。
「中禅寺さん！」
ああもう、なんでこんなに笑ってるの！？
どこか笑いのツボに入ってしまったとしか思えない。
探偵が古書肆を睨むので、私は慌てた。
「あの、探偵さんを笑っているんじゃなくて、笑われているのは私ですから」
探偵は不機嫌そうなまま、私の手を掴んで立ち上がらせた。
「――笑われているのは僕だ」
私は肩を抱かれて探偵の胸に引き寄せられた。
「そうだろう、京極」
飼い主の代わりに、石榴がニャアと鳴いた。
６５．必殺！
誕生日プレゼントに何が欲しいと探偵が云う。
「誕生日プレゼント……」
私は首をかしげた。
「私の、……ですか？」
「そう」
彼は目を細めて笑った。
「なんでも好きなものをあげよう」
――なんでも好きなもの。
私はうつむき、少しだけ考えてから、探偵の裾を掴んで彼を見上げた。
「じゃあ、探偵さんをください」
探偵は目を見開いて私を見下ろした。
「――僕か」
「はい」
あくまでも冗談のつもりで「だめですか？」と小さく笑って云ったら、探偵はにっこりと笑ってダメだと云った。
「それは先にクリスマスプレゼントで渡す予定だからね」
了
【京極100のお題 061〜070】
61：2008.02.29
62：2007.12.04
63：2007.10.26
64：2007.12.02
65：2007.12.17
「京極部屋」に戻る
≪炎帝月帝≫TOP