京極100のお題（榎木津×美由紀）
８６．着物
ゴーン、と鳴り響くのは除夜の鐘。
それを、神社で聴くのはとても不思議な感じがした。
去年の今ごろは、千葉の実家で炬燵に入って、家族で除夜の鐘を聞いていたのに、今年は年末から中禅寺家に泊り込んで神社の手伝いをしている。
新年が明けるまであと少し。神社には近所の人たちだろう、すでに長い列が出来ていた。
時計が十五秒前を示し、十秒前から子供たちがカウントダウンし始めた。
年が明けると、わああ、と歓声が上がって拍手と挨拶が交わされる。
私もパチパチと拍手をしていると、
「あけましておめでとう！」
窓口にひょっこりと顔を出したのは神様だった。
「探偵さん！」
姿が見えないと思っていたけど、真下に隠れていたらしい。てっきり、お参りの先頭にいるのかと思っていたのに。
並んでいる人たちの視線がやけに集まっていたけど、原因はこれか――。
「あけましておめでとうございます」
私はにっこりと笑って、今年もよろしくお願いします、と丁寧に頭を下げた。
「うん！ 今年もよろしく」
「お参りより、先にお守りを買いに来たんですか？」
くすくすと笑っていると、
「巫女さんに挨拶をしに来たのだ。あとで一緒にお参りしよう」
と云って、五十円を出すので、武蔵清明社のお守りを渡した。
「振袖を着るんだろう？」
「はい」
昼に千鶴子さんが着付けしてくれることになっている。
探偵はニコニコと笑った。
「その姿のままでもいいけどね」
探偵は急にまじめな顔になって、ビシッと人差し指を私の胸に向けた。
「後で写真を撮るから、脱がないように！」
勝手に巫女の衣装を脱いだら、新年から暴れだしかねない雰囲気だ。
私は小さく笑ってうなずいた。
今年も探偵に振り回される一年になりそうだった。
８７．ちょうはつ
長い黒髪がなびく。
出会ってから徐々に伸びてきた彼女の髪に触れる。
三つ編みを解くのも結ぶのも楽しくて大好きだ。
きっと、彼女に触れているという、そのことが純粋に嬉しいのだろう。綺麗に結べやしないから、いつも歪な三つ編みになってしまうのに、彼女は怒るわけでも呆れるわけでもなく、ころころと楽しそうに笑う。
そんな表情がまた可愛くて。
可愛い、と云えば困ったように照れて、そして怒る。
怒りながらも、少しだけ笑顔を見せるのがまた可愛い。
彼女の笑みに、気分が浮き上がる。
笑顔ひとつで嬉しくなってしまう。
もっともっと笑えば良いのに。
ねえ笑って。
もっと笑って。
たくさん笑って。
「女学生君は可愛いな！」
ニコニコと笑ってしまう。それを聞いた美由紀が頬に朱を上らせるのがまた愛しい。挑発されているとしか思えない。
「可愛い」
隙をついて彼女に口付ける。
「探偵さん……！」
真っ赤になった少女。ほら、ね。ものすごく可愛い。
やりすぎると本気で怒るから注意が必要だ。
からかいすぎるのも良くない。
それはわかっていはいるのだけれど。
僕は調子に乗りすぎて、大抵謝ることになるのだった。
「榎木津さんが調子に乗りすぎる気持ちも分かりますよ」
視線を向ければ、ケケケと下僕は笑った。
「美由紀ちゃん、本当に可愛いですもんねえ。――アイタッ！」
ゴッと骨が鳴るほど強く拳骨を落とすと、益田が頭を抱えて喚いた。
「いきなりなんスか！」
そうだ、彼女は可愛い。
でも、僕以外の男が彼女を可愛いと口にするのはなんだか不快だった。
８８．酒
日曜の朝。
私が事務所に来ると、木場刑事と飲んで朝帰りしたばかりという探偵は、九割くらい目を閉じた状態でのそりと寝室から現れた。
「探偵さん」
おはようございます、と云っても、返ってきたのは視線だけだった。
――うっわ、すごい顔。
目の下にはクマが出来、寝癖もひどい。ズボンからはみ出したワイシャツの裾。服も着替えずにベッドにダイブ状態だったことは一目で分かった。
への字になった口。眠っているところを起こされて機嫌が悪そうだ。この様子では、一緒に出かける約束をしたことすら忘れているに違いない。
ここは出直したほうがいいかも、と思った。
「あの、まだ寝ていてください」
私がそう云うと、眉をひそめた探偵は、大股で近づいてくると無言のまま私の手首を取り、立ち上がらせるとそのまま寝室へと踵を返した。
「探偵さん！？」
突っかけるように寝室へと連れ込まれ、背後で和寅さんが探偵を呼ぶがそれもドアを閉めて遮断してしまった。
「今、帰ろうとしただろう」
探偵は唇を尖らせた。
「僕は起きたぞ」
起きても、すぐに出かけられない状態で威張られても困る。
「帰りませんから。寝不足なんでしょう、まだ寝ていてください」
「……」
無言で私を見た探偵は、唸りながら眉を寄せた。
「君は物分りがよすぎる」
「わがままを云うときは云いますよ」
「じゃあ、いま云いなさい」
「寝てください」
「君と」
「ひとりで」
「一緒に、だ」
「そばにいますから」
私は探偵の身体を反転させてベッドの方へと押した。
――明日は出かけると分かっていて、なんで飲むかなあ。
もしかして、と思う。
遠足前日の子供みたいにはしゃいでしまったとか？ うっわ、当たってそう。
探偵は続けて文句を云いたそうにしていたが、眠気のほうが勝ったのか私の指示に従って布団に入った。
「帰るなよ」
「はいはい」
枕元に腰を下ろして、探偵の髪に触れる。綺麗な目が閉じられて、しばらくするとすぐに寝息が聞こえてきた。
一緒に出かけることが出来なくても、こうして探偵に触れられるのはそれだけで嬉しい。
「男の人って、何でこんなにお酒が好きなんだろう」
「僕は女学生君も好きだぞ」
「！」
いきなり呟かれて驚いた。
私は探偵の眼が開くのを待つが、やっぱり寝ているとしか思えない。
ふ、と力が抜けて、漏れたのは苦笑。
「知っていますよ。猫と赤ちゃんも好きなんでしょう？」
「君が一番だ」
「――」
はっきりと口に出される言葉。
――本当に、寝ているの？
寝ぼけているの？
それとも、目を瞑っているだけ？
私はしばらく探偵を見つめて、静かに笑う。
身を屈めると、彼の額にそっと口付けた。
一番じゃなくてもいいから――。
「いつまでも好きでいてくださいね」
８９．旦那
私がいつものように土曜日の放課後に探偵事務所へと行くと、一時間を過ぎた頃に探偵の幼なじみがやってきた。
巨体の男は扉をノックもしないでいきなり開ける。
「入るぜ」
木場修太郎。太い二の腕と胸板、顔つきも決して穏和とは云えず、ヤクザと間違えられてもおかしくないはないほど怖い雰囲気を放っている。
「刑事さん」
私は立ち上がった。
こんにちは、と笑えば、「おう」と返ってくる。
「まだこんなところに出入りしてんのか。いい加減、馬鹿が移るぞ」
刑事は視線を探偵の机に走らせると、どうせ出入りするなら本屋のほうにしとけ、と云ってソファーにどっと腰を下ろした。
「和寅はどうした」
「買い物に行っています」
「それで留守番か」
私は台所に行ってタオルを濡らして絞ってくる。
おう、と受け取って、刑事はタオルを開いて顔を拭いた。
「ちゃんとバイト代をもらっておけよ」
私は笑い返して、首をかしげた。
「探偵さんと待ち合わせですか？」
「ああ。――いねぇのか？」
「はい」
「あの馬鹿は平気で人を待たせるからな。どこに行ってやがる」
「もう少しで戻ると思うんですけど、実家に行っているみたいで」
湯が沸いたのでいったん台所に下がり、茶葉を新しくしてお茶を入れた。
「急ぎの用なら、ここで待つより実家のほうへ行ったほうが早いかもしれません」
ふうん、と云って刑事は熱いお茶をずずと啜った。
「お嬢が帰るころまでには帰ってくるだろ」
「でも――」
私は時計を見た。
帰って来ないかも、と云うと、刑事は声を出して笑った。
「何週間、あいつと会ってないんだ？」
「え？」
「まだ、会っていないんだろうが」
はい、と私が頷くと、刑事はソファーに置いてあった新聞を広げた。そこにはつい先日まで世間をにぎわしていた事件のことが載っている。
公にはなっていないが、それを解決したのは古書肆や探偵たちなのだ。
目の前の刑事も関わっている可能性は高い。
「なら、絶対に帰ってくるさ」
刑事はニヤリと笑った。
９０．檻
その学校は冷たい監獄だった。
檻に捕らわれ、蜘蛛の巣に手足を縛られた生徒たち。あれからもう二年が経とうとしているのに、ふと、何かの拍子にあのときのことがよみがえる。
たとえば、満月の夜。
たとえば、廊下に響く女子生徒の笑い声。
たとえば、蜘蛛の巣を目にしたとき。
捕食される者と、捕食する者。
あの学院にいたのは目潰し魔や絞殺魔だけでなく、男――という性を持つ者すべてが敵だった。
小夜子が強姦されていると知っても何も出来ず、常に覚える罪悪感。
本田に犯されるのが自分ではなかったことに、安堵している自分がいたのだ。
無力で、臆病で、卑怯な私。
私は醜い。
本田が殺され、是亮が現れた。
与えられる暴力。
逃げ出すことも許されず、身体を抑えつけられ、威圧する暴言に混乱し、自分が「女」であることを思い知らされた。
私は今でも男の人が怖い。それは本能的な恐怖だ。
殴られた記憶。
厭らしい目つき。
理解のない大人。
突き放される態度。
痛みと恐怖を身体が、心が覚えている。それは理屈じゃない。
でも。
「女学生君」
優しい声。
温かい笑みを浮かべて、探偵は私に手を伸ばしてくる。
「遅くなってごめん」
なぜ、この人だけが怖くないのだろう。触れられても、嫌悪感を抱くことがない。
愛しさばかりが溢れて。
「どうした？」
待ち合わせ場所で立ち尽くす私に、探偵は首をかしげた。
あの事件の最中に現れた探偵。
彼も男なのに、初めて目にしたときから怖いとは思わなかった。
それは奇天烈な言動に驚かされ、圧倒されていたからだろうか。それとも、感覚が麻痺していたのだろうか。
召喚された死神。
知り合いの刑事。
探偵の周りにいる男の人たちは、皆、怖くなかった。それは彼らが探偵の知り合いだったから。もしも探偵という媒体を挟んでいなければ、私は彼らをも恐れたに違いない。
事件が終わり、檻の鍵は開いた。
痛んだ心が徐々に癒されていくのが分かる。
彼らに受け入れられ、認められていくのが嬉しかった。
幸せで。
とても幸せで。
「女学生君」
ふ、と気づくのだ。
思い出す。――自分の醜さに。
「私は、」
「どうした――」
美由紀、と囁かれて、涙がこぼれた。
私は醜い。
頬に触れる手の暖かさに、抱き寄せられた腕の強さに、胸が痛む。
お願い。
優しくしないで。
――私は、貴方に相応しくない。
了
【京極100のお題 081〜090】
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87：2008.04.14
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89：2008.03.26
90：2008.05.24
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