榎木津×美由紀
『白紙』
神田にある薔薇十字探偵社を呉美由紀が訪れると、いつものように元気な探偵が迎えた。
「おお！ 七夕じゃないか！」
探偵は、三角錐の置かれた大きな机から立ち上がった。
「二階からロープで引き上げるのか。なかなか楽しそうな学校だ」
美由紀を見ながら、うふふと笑っている。
――本当に人の記憶が見えるのだなあ、と美由紀は男を見つめた。
数日後に七夕を控えた昨日の朝、美由紀が登校すると、15メートルはあろうかという真竹が学校の昇降口に横たえられていたのだ。
級友によると、毎年、七夕用に校長がどこからか調達してくるらしい。生徒たちは短冊をひとり一枚配られ、嬌声を上げながら願いを楽しそうに書いては竹に結び付けていた。その巨大な竹は、放課後に短冊を大量にしならせて、男性教諭総出の作業で昇降口横に飾られている。
春に千葉県から転校してきたばかりの美由紀には、新しい学校の行事の多さに驚くばかりだった。
「七夕に、探偵さんはどんな願いごとをしたんですか？」
「願いは叶えてもらうのではなく叶えるものだよ女学生君」
「神様ですものね」
あっさりと口にした美由紀の言葉に、榎木津はうわははははと笑った。
「そのとウりッ！ 今度仙台に行こう。もっとすごいぞッ！」
何で仙台？
美由紀は首をかしげるが、榎木津はニコニコと楽しそうに笑っている。
「君はどんな願い事を書いたのだ。世界征服か？」
「どこの悪の組織ですか」
美由紀は呆れながら、安和寅吉のすすめにしたがってソファーへと腰を下ろした。
「何も書きませんでした」
「なに！？」
何で書かないのだッ！ と榎木津は眉を上げた。
「短冊は願いを書くためにあるのだ。ただ持っているだけなら栞にしかならないぞっ！」
美由紀が短冊を持っていることまでは「見て」いるらしい。
七月七日――。
織姫と彦星が、一年に一度会う事を許された日。
短冊を見ていると、「織姫」と呼ばれた少女を思い出してしまう。
――碧だったら、短冊にどんな願いを書いたのだろう。
そう思ったら、どうしようもなく悲しくなってしまって、級友たちのように願いを書くことが出来なかったのだ。
榎木津は黙り込んだ美由紀の隣に腰を下ろすと、はいと云って右手を差し出してきた。
「？」
思わず「お手」をするように左手を乗せると、握り返されつつ、違う、と怒られてしまう。
「短冊だ。持っているだろう」
「あ、はい」
美由紀は慌てて手を引き抜くと、鞄の中からノートに挟んだままの短冊を取り出し、差し出されたままの男の手にそれを渡した。
榎木津は短冊をテーブルに置き、美由紀が筆箱から出して渡したボールペンを指先でくるりと回した。
「さあ、願い事を云いなさい」
「え？」
「えじゃないよ。君の願い事を聞いているのだ」
「なんで」
「僕が叶えるのだから、当然だろう。願いを聞かないと叶えられないじゃないか」
「……」
意味がわからない。
いや、探偵の発言で意味がわからないのは今に始まったことではないのだけれど。
「お星さまに叶えられて僕に叶えられないことはないッ」
胸を張り、まるで当然のことのように主張する。この男に云われると、本当にそんな気がしてしまうから不思議だ。
美由紀はくすりと笑った。
心配させてしまったかな、と申し訳なく思う。
「ええと」
願いを口にしようとするが、まったく浮かんでこない。
「世界平和……とか」
無難に、と思ったのだが、榎木津はあっさりと却下した。
「世界は平和じゃないか」
「じゃあ、みんなが元気で暮らせますように……とか」
「みんな元気だし明るく暮らしているぞ！ そんな願いは面白くない！！」
「ええ？」
願いに面白さを求められても困る。第一、面白い願いだけ叶えて、面白くない願いは叶えてくれない神様なんて聞いたことがない。
「ええと……」
美由紀は唸った。
探偵が気に入るような――喜びそうな願い願い……。
「探偵さんたちといつまでも一緒にいられますように……とか？」
「却っ下！」
「え！」
驚く美由紀に、榎木津はにっこりと笑った。
「探偵さんたち、じゃないよ女学生君！ 僕と、でいいのだ」
榎木津はうふふと笑って、
「でも合格だ」
美由紀に向かってペンを差し出した。
「さあ、書きなさい。僕といつまでも一緒にいられますように！」
美由紀がためらっていると、早く、と急かしてくる。
「書かないと、願いを叶えてあげないぞ」
「〜〜〜！」
ああもう、変なことを云うんじゃなかったと美由紀は頭を抱えたくなった。
早く早くとうるさいので、美由紀は溜め息をひとつ、テーブルに身を屈めてペンを走らせた。
【探偵さんといつまでも一緒にいられますように。美由紀】
書いたら急に恥ずかしくなった。やっぱりだめ、と短冊を取り上げようとするが、その前にすばやく取り上げられてしまう。
「探偵さん！」
「うわははは！ 女学生君は素直でよろしい！」
「やっぱり違うのにします！」
「なんで？」
「なんでもです！」
男の手から取り返そうと何度も手を伸ばすが、簡単に避けられてしまう。
「うわはははは！」
「探偵さん……！」
「もう遅い！」
探偵は楽しげに笑っている。
「返してください！」
「だめ」
本気で睨みつけてくる美由紀を見て、榎木津はにっこりと笑った。
「神はもうこの願いを受理してしまったからね」
榎木津は立ち上がると、短冊を机の引き出しにしまってしまう。そこは美由紀には手が出せない領域だ。
「探偵さん！」
美由紀の非難も、榎木津はそよ風のように流してしまう。そのまま椅子に座って長い足を組んだ。
「願いを叶えてほしいのだろう？」
「……」
美由紀が返答しないでいると、首をかしげる。
「それとも叶えてほしくない？」
「……」
「女学生君」
「……」
「聞こえないぞ！」
すでに男の口はニヤリと笑っている。美由紀の答えなど、聞かなくても分かっている笑み。
「女学生くーん！ 叶えてほしいの、ほしくないの、どっち」
ううう、と唸りながら美由紀は男を睨んだが、それも長くはもたない。
自然と頬に熱が集まってくる。
恥ずかしくて死にそうだ。
――悔しい悔しい悔しい。
「女学生君」
云って、と誘う声は優しく。
美由紀はうつむくと、消え去るような声でボソリと呟いた。
「……叶えて、ほしい、です」
真っ赤になった美由紀を見て、榎木津は満足げに笑った。
「うん、よし。もう、叶えた！」
了
【古風気味な百の題目／083】
2008.07.11
「京極部屋」に戻る
≪炎帝月帝≫TOP