榎木津×美由紀
『聞かせて』
ぽかぽかと暖かい室内。
ストーブの上に置かれたヤカンから湯気が出て、窓は蒸気で白く曇っている。読んでいた本を中断してぼんやりとストーブの灯りを眺めていると、だんだんと眠たくなってきてしまう。
探偵も探偵助手も出かけていて留守だった。
和寅さんは私に留守番を頼むと買い物に出かけてしまって、ここには私ひとりしかいない。客が来たとしても、お茶を出して待ってもらうことしかできないけれど。
ヤカンから出る蒸気の音、耳を澄ませば列車の音や汽笛も聞こえてくる。
誰もいない事務所はとても静かで、なんだか列車に乗っているみたいだった。
ガタンゴトン、ガタンゴトン。
私だけを乗せた列車は、いったいどこに行こうとしているのだろう。
起きていなければ、と思うのに、瞼は重くなってくる。
時計を見ると、三時半。和寅さんもそろそろ戻ってくるだろう。
――五分くらいなら。
そう思って目を閉じた。
「女学生君」
甘く柔らかい声で囁かれて私は目を覚ました。
「探偵さん……」
外から帰ってきたばかりの探偵からは、ひんやりとした冷気が流れてくる。
「ただいま」
探偵の囁きに、私は笑って囁き返した。
「お帰りなさい」
探偵はふふと笑った。
「眠たそうだな」
「暖かくて」
氷のように冷たい手が私の頬に触れた。
「本当だ」
――ああ。
気持ちが良くて私は目を閉じる。
「探偵さんの手、冷たくて気持ちいい」
くすりと、探偵の笑う気配がした。
「君は懐炉みたいに暖かいよ」
カチャン、という食器の目を覚ますと、向かいのソファーに座った探偵と目が合った。
「――探偵さん」
いつの間にか、ソファーで横になってしまっていたらしい。
慌てて起きれば、肘掛にもたれていた探偵が口角を上げた。
「もっと寝ていていいのに」
「いえ――」
私は姿勢を正した。ずっと見られていたのだと思うと顔が紅潮した。涎は出ていないよな、とそれとなく口元を拭う。
「いつ帰ってきたんですか」
「いつだったかなあ」
台所から物音がして、和寅さんもとっくに帰ってきているのがわかる。
ひょい、と和寅さんが顔を覗かせた。
「あちゃあ、今ので起こしてしまいましたかね。今、益田君が焼き芋を買ってくるんでみんなで食べましょう。美由紀さんも珈琲でいいですかい？」
「はい」
時計を見れば、四時を過ぎていた。
これでは留守番にならない。
「すみません……！」
私が謝ると、探偵は不思議そうに首をかしげた。
「なにが？」
「寝てしまって」
「なんで？」
「留守番をお願いされていたのに……」
「ちゃんと留守番していたじゃないか」
「していません」
「そう？」
探偵はにっこりと笑った。
「ただいま」
「お帰りなさい」
反射的に返すと、探偵はほら、と云った。
「ちゃんと留守番してたじゃないか」
カランカランと鐘が鳴って、益田さんが帰ってきた。
事務所の中に一気に冷気が流れ込んで、私は身震いした。
「美由紀ちゃん、ただいまー！」
「益田さん、お帰りなさい」
立ち上がろうとして、膝の上にブランケットが掛けられているのに気づいた。彼が掛けてくれたのだろうか？ と振り返ると、探偵は口角を上げて立ち上がり、いつもの場所――私の隣に席を移った。
「買ってきましたよ、焼き芋ー！」
益田さんは、焼き芋が入った紙袋を私に手渡すと、コートを脱いで台所に行き、皿を４枚持ってきてテーブルに広げた。
「やっぱり暖かいなあ〜。今日は寒くてやんなっちゃうよ。――あ、もう使っているんだね」
私の膝に掛けられたブランケットを見て、益田さんが目を細めた。
「暖かいでしょう」
はい、と頷くと、彼は笑う。
「それ美由紀ちゃん専用だからいつでも使ってね。女の子は腰を冷やしたらいけないんだって。榎木津さんが買ったんだよ」
また一つ増えたね、と益田さんが笑い、私もハイと笑った。
コップや歯ブラシ、湯のみやお茶碗に箸。私専用のものが事務所の中に少しずつ増えていく。すべて探偵や和寅さんがそろえてくれたものだ。
それがなんだかとても嬉しくて、照れ恥ずかしい。
胸の中がぽかぽかと暖かいのは、大切にされているのがわかるから。
「探偵さん」
探偵は私が見ていた本を開いている。
「ありがとうございます」
私が微笑むと、本を閉じた探偵は、優しく笑い返してくる。
「暖かい？」
「はい。すごく」
――いつも与えられるばかりで。
私も、彼等に返せるものがあればいいのに、といつも思う。
それを口にすると、探偵はいつも私からちゃんと貰っているよと笑うけど。
「食べよう！」
「はい！」
探偵が手を差し出すので、私は紙袋の中から一番大きな芋を取って渡すと、残りを他の皿に分けた。
和寅さんがお盆に珈琲カップを乗せて持って来た。
「ああ、美味しそうな匂いだ。珈琲もできましたよう」
探偵はひとりで勝手に食べ始めている。
私と益田さんで珈琲カップをテーブルに移す。
和寅さんが席について、私たち三人は手を合わせた。
「いただきまーす！」
暖かい部屋に、暖かい思いが満ちる。
今年の冬も暖かい。
了
【甘い恋の欲求で５のお題／02 あなたの声を聞かせて】
2008.11.29