浩瀚×陽子／RUNA様
『節目２』
≪１≫
次の日の朝は春雨の降る静かな朝だった。
陽子は久しぶりに深く眠る事ができ、清々しい目覚めだった。
目を覚ますと静かに降る雨の音が聞こえてきた。雨は朝の空気をより清浄なものへとしていた。まるですべての不浄を洗い流すかのごとく。
陽子はその静かな音を心地よく感じた。
雨のせいか外はさほど明るくはなく、陽子はいまだ自分がいつもより大分遅くに起きたことに気づかずにいた。
そして横になったまま、心地よい雨の音に聞き入っていた。女官が起こしにくるまではと。だが、しばらく待てども、毎朝決まった時間に起こしに来るはずの女官が来る気配がない。勝手に起きだしてはいけないことになっているから、陽子は大人しく牀榻の中にいた。さらにそれからしばらくの間待っていたが、それでもまだ来る気配がない。
いくらなんでもそろそろ起きなければ朝議に間に合わなくなる。陽子はそう思い身を起こした。見目麗しい女王の、朝議のための仕度は毎朝時間がかかるのである。陽子が華美を好まないのは周知の事実である。しかし、女官たちはこの十年、陽子を着飾らせることを諦めてはいなかった。それも毎朝。一つでも多くの装飾品を見に纏わせようとするのである。結果、朝議のための仕度は、女官たちと陽子の戦いとなっていた。陽子にしても、毎朝のそれは、楽しい日課となっていた。負けると悔しいし、疲れるときがあるのも事実だが。
だからこそ、女官たちは毎朝決まった時間に起こしに来るのだ。それが今日に限り、待てども来ない。しかし、それにしては部屋の外で人の動いている気配がする。時折女官たちの声が漏れ聞こえてくるのだ。
それを訝しんだ陽子は、誰かが起こしに来るのを待つべきか、自ら起き出すべきか迷った結果、自ら起きだした。そして誰か人を呼ばなければと思い、次の間へと続く戸をあけた。人の気配はするのだから、誰か控えているかもしれない。
開けた戸の先、次の間には、思ったとおり女官が二人控えていた。しかし、毎朝起こしに来る人間ではなく、そこにいたのは朝一から会えるはずのない人間。現在は他の女官たちの指揮や、指導にあたるようになり、以前より忙しく働くようになった者たち。
つまりは、気心の知れた親友である、鈴と祥瓊の二人であった。
二人は陽子の姿を見止め、嬉しそうにニコニコと笑っている。陽子には、忙しいはずのこの二人がなぜここにいるのか、全く持って見当がつかなかった。それも、とても嬉しそうにしているのだ。
「どうして二人がいるんだ？」
陽子は二人に問いかけた。対する鈴と祥瓊は、一度顔を見合わせ微笑みあってから、同時に口を開いた。
「陽子と遊ぶため」
その言葉を聞いた陽子は唖然とした。昔からこの二人は突拍子もないことを言い出す事があった。だが、与えられた仕事だけは真面目にやっている。なのに、朝から私と遊ぶためにいるという。信じられないことだ。
陽子は溜息を一つついてから。
「私と遊ぶため？ そんなの無理じゃないか。
私は朝議に出なければならないし、二人も仕事があるだろう？」
そう呆れたように言った。すると、鈴がぷぅっと頬を膨らませた。そして、拗ねたような調子で言い返してくる。
「あら、私達が陽子の側にいるのはちゃんとした仕事よ」
もういい年なのに･･･。外見同様、中身も成長はしていないなと陽子は思う。それに、こんな風に茶化されるのは気分が悪い。こっちは真剣なのに。
「ふざけないでくれ！ 早く支度をしなければ朝議に間に合わなくなるじゃないか」
遅れたら、また景麒の嫌味を聞かなければいけなくなるのに。二人とも人事だと思って。陽子は、全く焦ってくれない二人の友人に苛ついていた。そんな陽子の様子を、楽しそうに見ていた祥瓊が口を開いた。
「陽子、焦らなくてもいいわよ」
そう言うとにっこりと笑って続けた。
「だって、今日の朝議は、もうとっくに終わっているんですもの」
そして、鈴と祥瓊は楽しそうに向かい合って笑った。その二人の様子は、陽子の苛々をさらに増長させた。
「朝議がもう終わっている？ なぜ、誰も起こさなかったんだ！」
陽子は声を荒げた。陽子の荒れ具合に、鈴と祥瓊は顔から笑みを消した。
「陽子、落ち着いて」
「これが落ち着いていられるか。何で、王抜きで朝議をやるんだ」
鈴は宥めるような調子で陽子に声をかける。しかし、陽子の苛々は怒りに達したようで、鈴の一言ぐらいでは収まらない。鈴は、陽子に詰め寄られ、ビクッと肩をすくませた。祥瓊はその光景に溜息をついた。
「陽子！ 鈴に当たらないの。
あなたを朝議のために起こさなかったのは、浩瀚さまに、『主上をお休みさせよ』と命じられたからよ」
「浩瀚が？ なぜ？」
陽子は、怒って頭に血が上ったせいか、昨夜のことまで思考が回らなかった。だから、なぜ浩瀚が休ませようとするか分からなかった。鈴と祥瓊の二人は、全くこの子は･･･という顔で陽子を見る。その二人の表情に陽子は憮然となって、もう一度「なぜ？」と聞き返してきた。
「あなたの首の傷。人には見せられないでしょう」
祥瓊は少し悲しそうな表情を作って、そう告げた。
陽子は慌てて自身の首に手を当てる。触った瞬間にピリッとした痛みが走った。そこに至って、やっと昨夜の出来事を思い出した。確かにこの傷を諸官らに見られたら、いらぬ心配をかけるだろう。あの浩瀚ですら、勘違いしたのだから。
陽子が落ち着いたのを見て取ってから、祥瓊は優しく続けた。
「今日はゆっくりしましょうよ。雨も降っているし。私達はとうに朝の仕事は終えてあるし。それに、そろそろ昼餉の時間だもの」
「でも･･･。傷を隠したらいいんじゃないか？」
それでも陽子はこのまま休んではいけないような気がした。その思いが、思わず口から出てしまった。今度は鈴が、これ見よがしな大きな溜息をついた。
「でもも、だっても、ないの！
隠したりしたら、余計に詮索されるわよ。手当てした後が目に留まるだけでもダメなの！その位置じゃ、衣からはみ出てしまうんだもの」
鈴の言うとおりだわと祥瓊も呆れた顔をしている。
「今日はもう諦めなさい。陽子がいくら粘ったところで、朝議はもうとっくの前に終わっているの！」
私の話聞いてた？と顔を覗き込まれてしまった。たしかにもう終わっているものに出席することはできないので、陽子はおとなしく従うことにした。溜息を一つだけついて。先ほどの怒りも、もう消えていた。その様子をみて、二人はまた笑顔に戻った。
「さあ、顔を洗って、着替えだけはしてしまいましょう。昼餉の時には、浩瀚さまもいらっしゃるって仰ってたから」
「だから、文句があるなら、私達じゃなくて浩瀚さまに直接言って頂戴ね」
祥瓊と鈴は口々にそう言い、陽子の仕度に取り掛かった。
祥瓊は水の入った陶器の大きな器を持ってくる。これは、本来女史である祥瓊の仕事ではない。鈴の方は、陽子の衣装を運んでこようとしていた。いつものような官服ではなく、部屋着のようなあっさりとした設えのものを選んでいるようだ。それは、今日は仕事はさせないという意思表示だろう。一通り陽子の仕度を完了させると、祥瓊は洗顔に使った水を捨てに、鈴は食事の手配をしてくると言い部屋を出て行った。
一人部屋に残された陽子は、はぁっと大きな溜息をついた。そして、今日は朝から溜息ばかりだと思い、顔をしかめた。昼餉の時には浩瀚が来るという、さてどうしたものか。浩瀚という言葉を聞くと、自然と昨夜のことを思い出してしまう。
昨日は陽子自身、情緒不安定が限界に達していて、普段の自分とは違っていたかもしれない。それに浩瀚も、いつも以上の、いや普段からは感じられないような優しさを見せていた。とは言え、思い切り浩瀚に泣きついたことを思うと、恥ずかしさのため顔が熱くなってくるのが自分でも分かる。何しろ、泣きついただけではなく、陽子自身から浩瀚に抱きついたのだから。陽子は恥ずかしさに耐え切れず、両手で顔を覆って唸ってしまった。
それでも、久しぶりに熟睡できたのは浩瀚のお陰であろう。それも寝坊するほどの深い眠り。思い出すとやっぱり恥ずかしいけれど、感謝しなければいけないなと思う。
「そういえば、昨日浩瀚に、しばらく政務は休めって言われたかもしれないな･･･だからって、今日から休ませなくたっていいのに」
ここに至って、陽子はやっと昨夜の浩瀚の言葉を思い出す。そして、有言実行、即行動の浩瀚に少々呆れ、拗ねた口調で独り言をつぶやいてしった。
浩瀚が陽子を訪ねてきたのは、陽子が一人自室で恥ずかしさに悶え疲れて、ぼーっと椅子に座っていたときだった。
浩瀚が来た時、陽子の部屋の戸は、無用心なことに開きっぱなしになっていた。これは今日に限ったことではなく、夜以外は毎日こんなものである。王の寝室近くには、王である陽子と、冢宰である浩瀚の許しを受けた、信頼の置けるものしか近づけないので、こんな無用心な真似も多少はまかり通るのである。
浩瀚は開いた戸の先に陽子の姿を見つけ、その姿に見とれてしまった。浩瀚にも昨夜の余韻が残っているようだ。陽子には毎日のように会っているのに、今の姿からは初めて会ったときのような美しさを感じさせられる。思えば、初めてあの緋の色を目にした瞬間から、陽子に魅せられていたのだろう。今の浩瀚の陽子に対する想いは、あの頃とは違い、複雑なものへと変わってしまいはしたけれど。
陽子は戸を叩かれる音で意識を現実へと戻した。音のした方へと目を向けると、部屋の入り口に立つ浩瀚と視線が合った。浩瀚はいつもと同じ落ち着いた表情と、眼差しで陽子を見つめていた。いつもと同じはずなのに、なぜか陽子は、ぎゅっと心臓をつかまれるような感覚を覚えた。口を開こうにも思うように言葉が出て来そうにない。二人の間には陽子の理解し得ない緊張感があった。
結局は浩瀚が口を開くことで、その緊張感は消えてなくなった。
「主上、昨夜はよく眠られたようで。ようございました」
浩瀚は昨日のような、無条件に優しい調子ではなく、いつもの淡々とした調子で話しかけてきた。だがその瞳はちゃんと安堵の色を浮かべていた。
陽子は平素のとおりの浩瀚の態度に安心した。昨日のことを揶揄されたらどうしようと思っていたので。そんなことをするような人物でないことは、よく知っているけれど。だけど、朝起こしてくれなかったことは気に食わない。
「ああ、よく眠れたよ。こんなに寝坊したのは久しぶりだ」
陽子は、フンッと鼻を鳴らし、軽く浩瀚を睨んだ。浩瀚はそんな陽子の態度から、陽子が何に対して怒っているか分かった。
「そんなにご政務をなさりたかったのですか」
「お前が休ませたそうだな」
浩瀚は何気ない、一応聞くという調子で陽子に問いかけた。陽子はそんな調子が気に食わない。一層きつく浩瀚を睨んだ。その様子に浩瀚は苦笑した。
「そんなに怒らないで頂きたいですね。
その首の傷を、官吏達や、新参の女官たちに見せるわけには参りませんので。それが分からない、主上ではございませんでしょう。早く機嫌を直してください」
台詞自体は陽子の機嫌を取るようなものだが、口調は淡々としていて、いい加減にしなさいと、諫めるものだった。
陽子はまたもムッとしたが、これ以上続けたら、近い未来間違いなく浩瀚の雷が落ちるだろう。なぜ自分はこの冢宰の前では、こんなにも子どもじみた態度を取ってしまうのだろう。その最たるものが、昨日の甘えっぷりだ。
陽子はまたしても昨夜の浩瀚とのことを思い出して、顔を赤くして、手で覆ってしまった。
浩瀚はそんな陽子の様子から、自身も昨夜のことを思い出し、ため息をついた。昨夜はあれ程にも鈍感だった陽子が、今になって昨日の行いを恥ずかしく思い、顔を赤くしている様に呆れてしまったのだ。なぜ、昨夜のうちに気づいてくれなかったのだろうか。しばらく陽子の様子を眺めていたが、自力で浮上しそうな気配が無いので、またも浩瀚から話しかけることになった。
「主上。大丈夫でございますよ。昨夜のことは誰にも言ってはおりませんから」
「本当に？」
陽子は反射的に顔を上げ問い返した。
本当は鈴と祥瓊に盗み見されていたのだけれど。そのことを知ったら陽子はきっと、しばらく誰にも会わずに生活しなければいけなくなる。さすがに、浩瀚が陽子の世話をする訳にはいかないので、二人のことは陽子には伏せておくことにした。それに、浩瀚自身からは誰にも話したりはしていないのだから、嘘をついたことにはならないだろう。
「ええ。
なぜ他の者に話さなければならないのです。誰かに話すくらいなら、ご政務を休ませたりはいたしませんよ」
浩瀚は、しれっとそう答える。真実すべてを伝えているわけではないのに。陽子は、素直に浩瀚の言葉を信じた。
「ああ、良かった。できれば、浩瀚にも忘れてもらいたいんだけど」
「それは無理ですね。私は、少々、他人より記憶力が良いようなので」
陽子のさりげない、けれど真剣な願いを浩瀚はあっさりと拒否した。あんな風に陽子に求められたことを、浩瀚が忘れられるはずが無い。どんなにできた冢宰であったとしても、浩瀚は男であるということだ。そして、いくら武断の王だと言われても、陽子が女であることは普遍の事実なのだから。
「浩瀚は意地悪だ」
「主上ほどではございませんよ」
陽子の言葉に、浩瀚は即座に切り返す。そして、にっこりと微笑んだ。
「それはどういう意味だ」と陽子が食って掛かるのを、浩瀚が手で制した。向こうの方から、パタパタと足音が近づいてくる。この足音はきっと鈴のものだろう。
「どうやら、昼餉の用意ができたようですよ。今日はご相伴に預かろうと思って参ったのですが、構いませんか？ 申し上げたいこともあるのですが」
主である陽子に伺いを立てているようで、帰れと言われても帰る気などないという意思が表れている。その態度はいつものことである。それに、陽子は一人の食事が嫌いであるから、浩瀚と昼餉を共にすることに対して反対するつもりは無かった。
「帰るつもりなんかさらさら無いのだろう。一緒に食べよう」
「ありがとうございます、主上」
そう言い、微笑を浮かべる浩瀚を見て、陽子はこの男には敵わないなと思った。敵には回したくない人物だ。
それからすぐに、鈴と祥瓊が陽子と浩瀚のための食事を持って現れた。
昼食の間は、政務の話などせずに、砕けた話をした。鈴と祥瓊も、共に食事を取ることはなかったが、積極的に会話に参加していた。
食事も終わり、鈴と祥瓊が食器を下げるために退室した。部屋に陽子と浩瀚の二人きりになるのを待って、陽子から切り出した。
「それで？ 冢宰の話っていうのは何なんだ？」
陽子は、休めと言われるだろうと見当をつけていた。
「これからの主上のご予定のことでございますよ。少なくとも、一月程はご政務を休んでいただくことに致しましたゆえ」
浩瀚は、食後のお茶をすすりながら、重大事項をサラッと口にした。陽子はいつか、このポーカーフェイスを崩したいと思った。ただし、今の問題点は、浩瀚のポーカーフェイスではない。
「なぜ一ヶ月も休まなければいけないんだ？」
至極当然の疑問である。
「ですから、主上の首の傷が治るまでは･･･」
「この程度の傷は２、３日で跡も残らずきれいに治る。お前だって分かっているだろう」
浩瀚が、今日起きてから何度も聞いた答えを、また言おうとするので、陽子は声を荒げて言い返した。
「ええ、存じておりますよ。ですから、傷が治るまでは純粋に休養をなさっていただいて、残りの日数は休暇でございます」
陽子が怒るのは予想の範疇であり、荒げられた声に動じることも無い。陽子は浩瀚のその態度に、むぅっとした顔をした。
「休暇なんて必要ない。傷が治るまでしか休まないから」
「だめです。一月は休んでいただきます」
「なぜ！」
冷静な浩瀚に反して、陽子は興奮して食ってかかった。
「そうお怒りにならないで頂きたい。私から主上への贈り物でございますのに」
「休暇が贈り物？ どうして？」
まだまだ納得しそうにない様子に、浩瀚は薄く微笑むと、切り札を出した。
「主上は、前々から堯天に降りられたいと仰っておられたかと思っていたのですが。私の記憶違いだったのでしょうか？」
浩瀚は横目で陽子の様子を伺いながら、そう言った。
その言葉を聞いたとたん、今まで膨れっ面だった陽子は、喜色満面になり目を輝かせていた。
「記憶違いなんかじゃない！ 街に下りてもいいのか？」
その様が単純な子供のように見えて、浩瀚は笑いをこらえ切れなかった。
「笑うな、浩瀚！ だいたいお前の物言いが回りくどいんだ！」
ふんっと、照れ隠しに拗ねたふりをする陽子に、浩瀚は、「申し訳ありません･･･」と言いながらも、まだ笑っていた。
「もう！」
陽子は、笑い続ける浩瀚に呆れた。普段はあんまり笑わないくせに。こうやって、陽子をおちょくるときだけはよく笑う。自分の様子を見て笑われていると思うと、恥ずかしくなってしまう。別に、いやだとは思わないが。
浩瀚は、はぁっと息をついて笑いをおさめようとした。数秒かかって、やっと口を開いた。
「申し訳ございませんでした。休暇と言ったら理解していただけるかと思ったもので。言葉が足りなかったようです。どうぞ、堯天だけといわず、市井の様子を御覧になってきてください。主上のこの十年の成果を感じる事が出来るはずですよ」
穏やかな笑みと、口調でそう告げられ、陽子は嬉しくなった。
「ありがとう、浩瀚」
陽子は嬉しさのあまり浩瀚に抱きついてしまった。楽俊に飛びつくのと同じ感覚で。浩瀚ははぁっと漏らしてから、「主上、はしたないですよ」と言い、自身から陽子を引き剥がした。
「浩瀚、景麒みたい･･･」
陽子はそうつぶやき、椅子に座りなおした。それから、困ったような顔を浩瀚に向けた。
「主上、どうなさいました？」
その様子をいぶかしみ声をかけた。
「景麒･･･。景麒どうしよう？ 街に下りるとか言ったら、絶対あいつ怒るよね」
陽子は心底困ったという顔をした。
「確かに台輔は、あまり良い顔はなさいませんでしょうね。ですが、一応許可は取ってまいりましたよ」
「本当？」
陽子は、ぱぁっと顔を輝かせた。浩瀚は、眉を少しひそめて続けた。
「ただし、主上自らお願いに来てくれなかったら、指令はお貸しいたしかねます、だそうです。あと、昨夜の出来事の報告も致しましたので、お怪我を早く治してくださいと。側に近寄れないじゃないか！と、お怒りでしたよ」
陽子はあぁっと頭を抱えた。景麒と顔を会わすときを思うと、気が引ける。また、景麒の説教を気かなければならないようだ。浩瀚は陽子を見てから、不本意そうに続けた。
「主上、昨夜の私と同じくらい主上のことを心配する者がいるとしたら、それは間違いなく台輔だけですからね。ちゃんと、謝ってらっしゃるのですよ」
陽子は、うっと呻くも、
「分かった。治ったらちゃんと景麒に謝るから」
とそれだけは、口にした。
いつの間にか、外からは雨の音がしなくなっていた。しだいに、眩しい光が室内に差し込んできた。その光に導かれるように、陽子は窓の方を向いた。つられて、浩瀚も外を見やった。
「主上、どうされました」
その声に振り返った陽子の表情は晴れやかだった。そして、楽しげな声音で浩瀚に話しかける。
「浩瀚、まだ時間はある？ 園林(にわ)にいかない？」
陽子の突然の誘いに、浩瀚は少し驚いた。
「ええ、まだ半刻ほどなら大丈夫ですよ。ですが、雨は上がったばかりですから、園林はまだ乾いていませんよ」
「だから、今行こう。滅多に雨なんか降らないんだし、趣があっていいじゃないか」
「主上が、『趣』などと言われることの方が、珍しいことですね」
陽子はむっとし、浩瀚は目だけで笑う。
「浩瀚！ お前少し言葉が過ぎないか？」
「そうでしょうか、先ほどは言葉が足りないと言われたのですが。さあ、時間が無くなる。早く参りましょう」
「逃げるな、浩瀚！」
言いたいことだけを言い、さっさと堂室を出て行こうとする浩瀚を、陽子が慌てて追いかけた。浩瀚は、自分に振り回されてくれる陽子がとても愛しかった。
節目２ ≪２≫に続く
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