700hit キリリク（リン×麻衣）
『きっと』
なぜ、彼だけが彼女を助けることが出来たのか、とか。
なぜ、一番遠くにいたはずの彼が彼女を助けることが出来たのか、とか。
そんな理由はきっと簡単で。
――何で笑わないの？
――ほら、いつも私に笑ってくれるみたいにさ。
――えー？ 笑ったら、きっと子供たちだって怖がったりしないと思うけどなあ。
――だって。
――だって、リンさんの笑った顔って、すごく優しいもん！ あたし――。
――あたし、リンさんが笑ってくれるのってすごくうれしい――。
白い天井が見えた。教室にあるような細長いライトが眩しい。
「麻衣……？」
麻衣は声のほうに目を向けた。
黒い人がいた。――それだけ。
声を聞けば誰かは分かる。
真砂子だ。
「真砂子……」
「ええ」
ホッとしたような声。そして、きっと笑み。
でも、麻衣はそれが見えなかった。
「真砂子……」
「なんですの？」
真砂子の声はとても優しかった。お母さんの声にちょっと似ている、と麻衣は思った。きっと、心から自分を心配してくれている人の声質は自然と似るのだろう。
「真砂子……」
「麻衣……？」
「見えない」
「何がですの」
「真砂子が見えない。ここ……どこ？」
がたん、と音がした。
「リンさん」
真砂子が立ち上がって背後を向く。真砂子の着物の柄が艶やかに視界を染めた。
「リンさん……？」
麻衣がつぶやくと、カーテンレールを引いて、軽く身を縮めて長身の男が入ってきた。
「リンさん？」
もう一度聞く。目が見えていれば、聞く必要もないことを。
「ええ」
真砂子がぎこちなく頷いた。
男は何も話さない。
「あの……私、出ていますわね。麻衣が目を覚ましたことも伝えておきますわ」
なんだかそそくさと出て行く艶やかな色を目で追う麻衣に、男の言葉が静かに落ちた。
「谷山さん……」
「ん？」
麻衣の視線が、男を見上げる。真っ直ぐに。
その視線に、男が息を飲んだことを麻衣は知らない。その表情も。
「目が……」
「ああ、うん。なんだかぼやける感じ……」
「……申し訳ありませんでした」
麻衣は笑った。
「何でリンさんが謝るのさ。リンさんはなにもしてないよ」
「何もできませんでした――だから」
「違うって」
麻衣は笑う。
男の頭部が横に白いのはきっと包帯を巻いているからだ。
倒れる材木から、麻衣をかばって出来た傷――。
「リンさん……大丈夫だったんだ……よかった。傷は痛くない？」
男は下を向いたまま首を横に振る。
麻衣は「あたしを見て」――と心の中で思う。
「……本当に……申し訳ない」
「リンさんのせいじゃないよ、これは」
麻衣は半身を起こした。男の大きな腕が慌てて背を支える。
麻衣はまだ気だるい腕を男の胸元に伸ばして、シャツをつかんだ。
「リンさんのせいじゃない。ボーっとしていた私がいけないんだから……それに――」
クラ、と眩暈を感じて、麻衣は息を吐いた。そのまま、前に倒れた。男が慌てて胸に抱く。
「谷山さん！？」
「……うん、ごめん、大丈夫………」
はあはあ、と荒い息で麻衣は笑う。へへへ、と。
「助けてくれたでしょう？ リンさん」
声が聞こえたよ、と麻衣は微笑んだ。
「ありがとう」
男は首を横に振る。
振ることしかできなかった。
ただ、麻衣の身体を強く抱いた。
その、細い身体を――。
※
それは依頼と呼べるものではなかった。
「リンがストーカーに付きまとわれている！？」
その話を聞いて楽しげに叫んだのはぼーさんこと滝川法生。明るい髪色と瞳、そして性格。
「楽しそうね。あんた」
綾子が呆れたように言った。化粧も派手だが、服装も派手だ。ちなみに、性格も派手である。
年が近く、互いに気が合うのだろう、二人でよく飲みに行くのだが、その席でのことだ。
「ほへえ〜。あのリンさんがねえ」
「笑い事じゃないわよ。何しろ……」
そのストーカーは霊なのだから。
「リンらしいでないの！！」
かっかっか、と滝川は笑った。
「冗談じゃないって言ってるでしょう！」
綾子が吼えた。
「リンとすれ違っただけでも、怒りがこっちに向かってくるんだから！！」
とりあえず道ですれ違ったりとか、そういう類では起こらない現象だが、同じ室内――事務所の中では、会話を交わしたりするだけで「敵」と見なされてしまうようで、まず小さな物が飛んでくる。
次に、空気が鳴る。
部屋がゆれる。
電気がちらつく。
声が聞こえる。
「逆だな！ 新パターン！」
「あんたねえ！」
ぽこ！ と綾子の肘が一閃し、長髪の男が前に沈んだ。シュウウ……と後頭部から湯気が出ている。
「冗談じゃないんだってば！」
綾子は鼻息を荒くする。バサ、と前髪を前にたらした。
滝川が首をかしげると、綾子は真っ赤な唇を真横に引いてニヤリと笑うと、目を細めた。
ふふふふふ……と不気味に笑う。
「彼に…………」
「あん？」
滝川が眉をひそめた。
「さわらないでぇええええええ！！！！！」
「！！！！」
ギョッとしたのは、同じ店内にいた客だ。店内が一瞬静まり返り、一点に集中する。
当の人物はすっきりした顔でにっこりと笑う。
「と、まあ、こんな感じよ」
「お……おまえ……」
滝川は眩暈を起こしそうなくらい引いていた。
「恐ろしいやつ……」
「ね、怖いでしょう？」
おまえだおまえ、と滝川は思ったが口にはしない。
「声質まで真似して、お前さんも楽しんでるんじゃねえの」
「うふ」
「なにがうふ、だ」
滝川はビールを口に運ぶ。
「で？ ナル坊はなんて言ってんのよ。仕事の邪魔だ、消えるまで出入り禁止！とか？」
「興味深い」
「……」
「……」
「それは……とても……」
彼らしい発言でございますこと。
綾子がツマミの揚げた小海老をパクパクと食べながら頷く。
「そうなのよね。でも、麻衣がさ」
「麻衣が？」
「あら。急に真剣な表情」
ふふふ、と綾子がにやつく。
「いいから言えって」
「ふふふ。麻衣がねえ、今、ちょうどいないでしょう？ 帰ってきたときが心配なのよー」
「……」
「行く？ 明日、帰ってくるわよ」
「……」
「麻衣、狙い撃ちね」
「行く」
「ふふふ」
「リンの彼女を見に行くんだ、勘違いするな」
「勘違いって？」
にっこりと綾子が笑う。
「分かってるわよ、麻衣のお土産がめあてでしょう？」
そういうことにしておいてあげる、と綾子が笑った。
翌日の土曜日、滝川と綾子は待ち合わせたかのように事務所の前に立っていた。
「入りなさいよ」
綾子が顎を扉に向かって振った。
「おまえこそ」
滝川が綾子を睨む。
「……」
「……」
二人の目線が語っていた。――この中に？
嫌だ、と二人の意見が一致する。
「あれー？」
のん気で明るい声がした。二人は振り向き、同時に叫ぶ。
「「麻衣！」」
「あい！？」
きょとんとした顔で小首をかしげたのは谷山麻衣。現役女子高校生だ。制服に紙袋――いかにも現地土産――を持っている。
「どったの？ 二人して。中に入ればいいじゃん」
麻衣も今来たところだが、事務所の電気はついている。人がいるのだ。鍵は開いている。
滝川がにっこりと笑って親指で自分を指差した。
「麻衣ちゃん、おじさんと御飯食べに行かない？」
「ほえ？」
「そうそう、お姉さんとお茶しましょう！ ね！！？」
「え。なに、どうしたの？ 二人とも気持ち悪いなあ」
ガシ、と滝川に肩をつかまれて麻衣は眉をひそめる。
「誰か来てるの？」
「来てるわよお〜」
それはそれは恐ろしいお客様が。
「調査員！ 入ってくるな！」
事務所の中から声がした。ナルだ。
「ナル！？」
調査員――それはもちろん、麻衣のことだろう。だが、「調査員」などと呼ばれたことは一度もない。バカとかマヌケとか、そんな言葉で呼ばれたことはあるけれど。
「ナル！？」
「麻衣、マジでやばいから、だめだって」
「ぼーさん！？ なにが起こってるの！？」
麻衣が暴れるのを、二人がなだめにかかる。だが、怪獣の動きは止まらない。
「キングギドラも真っ青だぞ、コラ――おわ！！」
滝川が麻衣の急所蹴りを避けながら「こなくそ」と少女の腕をつかむ。だが、麻衣の目が事務所の扉――擦りガラスに動く物を発見してそれはぴたりと止まった。
そこには、顔が――。
人の顔が浮かんでいたのだ。
「なに……あれ」
「だからやばいって……言ってるでしょうに」
滝川が額から汗を流している。
麻衣は、滝川の腕にしがみついた。
「顔だけ……だよ」
「すばらしくやばいだろう？」
そこには、宙に浮かんでいるであろう女の――少女の顔があったのだ。
髪の毛は短かった。顎の線で切りそろえられたストレートの綺麗な髪。
最初は真砂子かと思ったのだ。だが、それがふよふよと浮かび、擦りガラスについたり離れたりするにいたり、その存在は明らかだった。
「なに……？ なによ！ これ！！」
「麻衣、落ちつけって！ どうやら中の会話からすると、あのお嬢さん、麻衣のこと探しているらしい」
「あたし！？」
「しーーー！！ ってば！ とりあえず外の声は聞こえないみたいなんだけど、いつ気づくか分からないんだからっ」
麻衣の頭を抱え込んで綾子が言う。
擦りガラスに少女の顔が密着する。――耳を、当てていた。
――ぞく、と麻衣の背筋を悪寒が走る。
手が震えた。
「……なんで……あたし……？」
滝川と綾子は顔を見合わせる。
――言う？
――おまえさんが言えよ。
――あんたが言ってよね！
「……」
「……」
「ぼーさん？」
麻衣の頭上でにらみ合う二人を、麻衣が見上げた。
「ほら、ぼーさん」
綾子が顎を振る。
――この、くそ！
「リンが引っ掛けてきたんだよ」
「リンさんが？」
「麻衣がアメリカに行ってる間、リンたちも調査で抜けてたんだけどな。帰ってきたときにはお土産つきだったというわけ」
「……あの子？」
「美人でしょ？ まったく、どこで引っ掛けてきたのやら」
滝川は呆れたような溜め息をつく。
綾子も溜め息をついた。
「古い洋館だって言ってたわよ」
「その割には日本人形みたいな感じじゃねえか？」
「そうね。真砂子そっくり」
麻衣がはっとする。
「真砂子は！？」
「中よ」
「え！？」
「大丈夫。……とりあえずね」
二人がここへ来たときにはすでに事務所の中はオオモメ――植木鉢が飛ぶ、少女の頭が飛ぶ、本が、書類が、筆記用具が飛ぶ、真砂子が叫ぶ、リンが怒鳴る――そんな状態だったが、とりあえず、真砂子の
「わたくしが好きなのは彼ではありませんわ！ ナルですもの！！」 という声に、ぴた――と嵐は止まったのだった。
そもそも、嵐の原因は、少女の霊が麻衣の存在に気づいたかららしいが、逆上して手におえない状態になってしまったのだ。
「何で……あたしなの？」
「さあねえ」
滝川が疲れたような溜め息をついた。
綾子は「そうねえ」と言いながら考える面持ちでつぶやく。
「リンが……気を許している女性が麻衣だけだから……かしら？」
「あたし……？」
「気づいてない？ そうね、ほかにはまどかさんくらいね」
「まどかさんは……分かるけど……」
「リンも報われないわねえ。だって、麻衣にだけよー？ あんなふうに笑うのは」
「……」
あんなふう、といわれても麻衣には分からない。
「まあ、それはナルにしろ、このオジサンにしろ一緒だけどー？」
「綾子」
滝川が綾子を睨む。
綾子は、ふふふと笑った。
「とりあえず、ジョンを呼びましょ。あれ、憑き物だから」
綾子が携帯を取り出す。
「ぼーさんには祓えないの？」
「誰があんたを守るの？」
にっこりと綾子は笑う。
「お姉さんが守ってあげましょうか？」
麻衣は首を横に振った。
「そういうこと」
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